エルマベルケ MP40 “シュマイザー” / ERMA-Werke MP40 “Schmeisser” 【短機関銃】 †
モデル名 | 全長(伸長時) | 重量 | 口径 | 装弾数 | 発射速度 | 発射形式 | 製造国 |
MP40 | 625(845)mm | 3.7kg | 9mm×19 | 32 | 500発/分 | F | ドイツ |
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Z45 | 580(840)mm | 3.9kg | 9mm×23 | 10/30 | 450発/分 | F | スペイン |
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M56 | 591(870)mm | 3.0kg | 7.62mm×25 | 35 | 600発/分 | F | ユーゴスラビア |
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MP40は、ドイツのエルマ・ベルケ(製造)社で開発された短機関銃。第2次世界大戦中、当時のナチスドイツをはじめ枢軸側の主力短機関銃として活躍した。1930年代に、同社の技術者ハインリヒ・フォルマー技師によって設計されたEMP(Erma Maschinenpistole)を祖とする。
1930年代半ば、当時のドイツ国防軍は戦車兵や装甲兵員輸送車の乗員が装備する護身用火器として、狭い車内でも取り回しの良い新しい短機関銃の開発を要求した。これを受けたエルマ社は、以前に国内外に販売して好評を得ていたEMPを開発・製造した実績があり、1936年にこれをベースとしたMP36(Maschinenpistole 36)を完成させる*1。
MP36は、エルマ社の創業者でもあるベルトルト・ガイペル技師の設計によるもので、後のMP40とほぼ同様の基本的な構造とシルエットを確立した銃である。狭い車内で扱えるようコンパクトに折り畳める銃床と、兵員輸送車の車中から装甲やドアの縁に銃身を依託して射撃を行うためのサポート材を銃身下に備えていた。サポート材が鉤状となっているのは、反動で後方へ押し込まれて、車内に発砲してしまわないようにするためだ。撃発はオープンボルトで作動はシンプルなブローバック方式と、当時の短機関銃として一般的な機構だが、テレスコピック(伸縮式)・チューブと呼ばれる円筒の中にリコイル・スプリングを収めた特徴的なボルト機構を採用していた。このメカニズムは、チューブ内の空気がクッションとなってフルオート射撃の際に連射速度や反動衝撃を抑制する働きと、内部に侵入した塵芥でスプリングが汚れるのを防いで分解清掃を楽にする利点があった。レシーバーは後のMP40と同じプレススチール製だが、グリップパネルと先台は従来通りの木製だった。
1938年には、ハインリヒ・フォルマー技師の設計により、信頼性の向上を図ったMP38が開発された。グリップパネルと先台は木製からベークライトへ変わり、木製部品を一切用いない初めての短機関銃となった。一方、プレス製だったレシーバーは強度に問題があったことからスチール削り出しとなり、もともとスチール削り出しだったロワーフレームは軽量化を企図して高価なアルミ合金削り出しへと変更され、レシーバーも縦溝を幾重にも彫りこむなど高コストなものとなってしまう。
そこで、MP38の生産効率の向上とコストダウンを図ったモデルが、MP40である。削り出しだったレシーバーはロワーともどもプレススチール製となり、強度を増すためのリブが追加された。
1940年に完成したMP40は、前身のMP38と共に実戦に投入された。だがMP40、MP38共に、弾の残ったマガジンを装填したままでボルトが前進位置にあると、落下の衝撃などでボルトが前後動し暴発を起こす問題があった。これは当時のオープンボルト・シンプルブローバック方式の短機関銃に共通する欠点である。
通常、コッキングハンドルを引き切ったのち、コッキングスロット脇のセイフティノッチにハンドルを引っ掛け、ボルトを後退位置にロックすることで防ぐことが出来たが、コッキングされない状態ではボルトを定位置で留める機構が無く、ハンドルの操作ミスや落下によって暴発させてしまうリスクがあった。
当初はハンドルを前進位置で固定しておくための革ベルトが設けられていたが、1942年にこの問題の解決のため、ボルトが前進位置でも手早くロック、また解除することができるよう、コッキングハンドルが改修された。ハンドルのヘッドピースを押し込むと、前進位置のコッキングスロット脇に追加されたノッチに差し込まれてハンドルとボルトが固定されるというもので、前線に供給済みだったMP38/MP40も暫時この仕様に改修されていった。しかし、この措置は完全に実施されたわけではなく、旧型ハンドルのままの個体も多く残っている*2。
またマガジン配置にまつわる問題もあった。銃を保持する際、フォアグリップとして添え手で握るのにちょうど良かったことから、マガジンを握って射撃を行うスタイルが定着してしまい、強く握りすぎて給弾を阻害してしまうトラブルが頻発した。対策として、マガジンではなくマガジンハウジングかその後方にある先台を握るよう指導がなされ、1941年以降製造のモデルからはマガジンハウジングとマガジンにリブが追加され、構造が強化された。マガジンが開口部の小さなシングルフィード式だったことも一因だったが、これを改修すると新旧の銃で互換性を失ってしまうからか、対策はされなかった。
MP38及びMP40は、1944年の生産終了までに、合わせておよそ110万挺が生産された*3。分隊指揮官や空挺隊員、戦車や自走砲といった機械化部隊の乗員の装備として配備され、近接戦闘時やKar98Kを持つ歩兵の援護に活躍した。戦後もチェコスロバキアやユーゴスラビアなどの東側陣営やノルウェーやオーストリアといった一部の地域では1980年代まで現役だった他、2022年のロシアによるウクライナ侵攻ではドネツク、ルハンシクの親ロシア派民兵がMP40を装備しているのが見られた。
なお、面白いバリエーションとして、MP40-IIという俗称で知られるモデルが存在する。71連ドラムマガジンを装着出来るソビエトのPPSh41に対抗したものとみられ、32連マガジンを2つ横並びに装着出来るようにしたモデルだった。一本目のマガジンを撃ち尽くしたら、横にホルダーをスライドさせてもう一方のマガジンに切り替え、ほぼ連続して64発(32発×2本分)を連射することが出来た。ドイツ陸軍はこれをMP40/Iとして制式採用し、前線に配備したとみられるが、生産数はごく限られたものとなった。限定的な配備となった経緯は公式な文書が見出されておらず定かで無い。現存するモデルの刻印から、エルマ社の他、占領下のオーストリア・ステアー社でも生産されたようだ。
エルマ社は後に同様のダブルマガジン給弾機構を備えたEMP44という短機関銃を開発している。
本銃の愛称として知られる『シュマイザー』だが、本銃の開発にはドイツの有名な銃開発技師ヒューゴ・シュマイザーは関与していない。MP40のマガジンにはシュマイザーの名が刻印されていたため、どうも鹵獲した連合軍がそれを目にしたことから呼称として定着してしまったのが原因らしい。とはいえ実際のところ、本銃の設計はシュマイザーのMP18の影響を少なからず受けており、マガジンの設計も刻印が示す通りシュマイザーのパテントが元になっている。そのため全く無関係というわけではない。
一方、ハーネル社が開発したMP41は、実際にシュマイザーがチーフデザイナーとして設計に携わっていたモデルである。MP40にMP28の木製ストックとセミ/フルオート切り替え可能なトリガー機構を追加したもので、先述のMP38/MP40に追加されたコッキングハンドルの安全装置も、このMP41でシュマイザーが設計したものである。
当時はハーネル社でもMP40を製造していたにも関わらず、あえて別の銃を設計し、なぜ旧来の木製ストックを採用したのかなど、MP41の開発の経緯や目的は明らかでない。開発された1941年にはエルマ社から特許侵害で訴えられ、製造停止が命じられていたものの、ハーネル社の出荷記録によれば1944年まで供給は継続され、およそ26,000挺が生産されたと云われる。大半がルーマニアを始め、枢軸側の同盟国に供給された。ドイツ軍は採用しておらず、国内では大戦後半の1943年以降にベルリン治安警察に少数が配備されたに留まっている。*4
あまり知られていないが、本銃は銃口にネジが切られており、通常はローレット加工の施された保護用のナットが装着されていた。これは空包射撃用のアダプターを装着するためのネジだったが、アダプターが実際に使われることはなかった。
しかし、大戦後半の1943年から1944年にかけて、このネジ部に装着するMP40用サイレンサーが研究・開発された。偽装のためプロジェクトは「ハウベ(フード)」と呼ばれていた。超音速で飛翔する9mmパラベラム弾の短機関銃であったことから、弾薬は専用の亜音速重量弾が用意された。充分な静粛性を発揮するようサイレンサーはかなり長大なものとなり、空包アダプター用のネジに装着するには支障があった*5。
各種バリエーション †
モデル | 派生型(括弧内はドイツ軍採用名称) |
MP36 | MP38、MP40の原型 |
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MP38 | MP40の前身。MP36の改良型だが、削り出しボディで高価 |
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MP40 | MP38の生産性向上型。プレス製ボディ |
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MP40/I(MP40) | 安全装置の追加やマガジン周りの強化を施したモデル。『シュマイザー』と呼ばれるのは大体がこれである |
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MP38/40(MP38) | MP38をMP40/I同様のコッキングハンドルに改修したモデル |
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MP40-II(MP40/I) | 32連マガジンを2つ装着できるようにしたモデル |
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MP40/II(MP40) | 1943年以降に製造・改修されたMP40/Iの小改良型。発射速度を1000発/分まで高められた |
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MP41 | MP40の上半分にMP28の木製ストックとセミ/フル切替トリガー機構を組み合わせたモデル 製造されたうち少数がベルリン治安警察に納入され、大半がルーマニア他の枢軸国へ供給された。戦後もルーマニアで生産が続けられ、今もかなりの数が現役。シュマイザー技師設計 |
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Z45 | スペイン・スター社の改良コピー。 使用弾薬変更、グリップおよびフレーム木製化、バレルジャケットとコンペンセイター追加の改良が施されている。 MP40の代用として映画撮影に多用される |
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M56 | ユーゴスラビア造兵廠の改良コピー。トカレフ弾への変更やソ連のPPS短機関銃の長所を取り入れるなど、旧東側標準の仕様となっている |
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