ヒューゴ・シュマイザー
Hugo Schmeisser (1884〜1953) †
ドイツはズール市出身の、20世紀前半に活躍したドイツの銃器開発者であり、短機関銃の権威。
父ルイスはベルグマン社(ズール)の銃器開発者であり、息子ヒューゴもベルグマン社に入社する。第一次大戦では塹壕戦に適した火器として開発したMP18は、その有効性から連合軍を驚かせて、世界各国でコピーが作られるなど短機関銃の第一人者として知られる事となる。
第一次大戦後、ベルグマン社を退社したヒューゴは、ハーネル社(ズール)に参加。MP18の改良発展型であるMP28はドイツ警察や海外などへ多く納入し、小企業だったハーネル社を火器製造可能な中堅企業へと押し上げた。
その後、短機関銃と小銃の中間を埋める存在として突撃銃の開発に着手。1941年には試作量産型のMkb42(H)を開発し、多少の紆余曲折があったものの、最終的にStg44の名前でドイツ軍に大量納入されて劣勢著しい戦局を支えた。
戦後、故郷ズール(とハーネル社)はソビエト統治圏となり、ヒューゴはソビエトの銃器開発のため1946年よりソビエトのイジェフスク*1へと移住させられる。そこで数年間、ソビエトで銃器開発を行っていたが、1952年にようやく解放され東ドイツへと帰国。しかし翌1953年に肺炎で息を引き取った。
その著名とは裏腹に、ズールで生まれ、ズールで育ち、ズールを渡り歩き、ズールのために武器を取り、晩年をズールで過ごし、そしてズールで眠る、故郷に根を下ろした人生であった。
なお、AK47の開発者で知られるミハイル・カラシニコフも1949年よりイジェフスクに居を移しているため、両者は何らかの接触があった可能性もある。