モシンナガンM1891 / Mosin-Nagant M1891 【小銃】 †
ロシア帝国の主力小銃として19世紀末に開発されたボルトアクション式小銃。採用当時は"трёхлинейка(トリリネチカ:3線銃、"線"とは1/10インチのことを差す。.30口径の意)”と呼ばれ、革命後成立したソビエト以降、国内では"Винтовка Мосина(ビントブカ・モシーナ:モシン式小銃)"または単に"Мосинка(モシンカ)”と呼ばれている。
1877年から1878年にかけての露土戦争中、プレヴェン攻囲戦においてトルコ軍が装備していたウィンチェスターM1866に苦しめられた経験から、当時ロシア帝国軍の主力歩兵銃だった単発式のベルダンライフルに代わる連発式のライフルとして開発された。使用弾である7.62mm×54R弾もこのとき開発されたボトルネック弾薬である。
開発にあたってはライフルの競作が行われた。ロシアのセルゲイ・イヴァノヴィッチ・モシン大尉とジノヴィエフ大尉、それぞれが設計した二つの3線(.30口径)ライフル、そしてベルギー・ナガン社*2のレオン・ナガンが設計した3.5線(.35口径)ライフル。計3つのライフルが試作された。
トライアルを経て、最終的にモシンとナガンの二つのライフルが候補に残ったが、モシンのライフルは工作精度が低く、ナガンのライフルは構造が複雑で分解整備に支障があった。いずれも求められる新型歩兵銃としては決め手に欠けたが、評価者たちによって投票が行われた結果、モシンのライフルが選定され、これを元に改修を行うこととなった。
改修にあたってはナガンのライフルの設計も採り入れられ、ベースとなったモシンのライフルからはさまざまな修正が進められた結果、原設計者の名前が冠せられることなく1891年に"трёхлинейная винтовка образца 1891 года(トリリネチア・ビントブカ・オブラスカ・1891・ゴーダ、3線銃1891年型)"として完成した。
しかし、これに対してナガン社は、自社のライフルも選定されたものとして報酬を受け取る権利があると主張するとともに、新型ライフルに対して特許訴訟を起こした。ロシア帝国当局は最終的にこれを受け入れ、ナガン社はこの件を広く喧伝した。世界的に知られる「モシンナガン」の俗称はこのとき広められた。
1891年に制式採用されて以来、日露戦争、第一次世界大戦、ロシア革命と、ロシア帝国からソ連へと移り変わる時代と共にM1891はあった。1930年には近代化を施したM1891/30となって生産が続けられ、第二次世界大戦でもソ連軍の主力火器として大量に生産、使用されている。
第二次世界大戦後は、主力小銃の座をSKS、AK47に譲ったものの、狙撃銃や二線級火器として使用され、1960年代にドラグノフが登場して以降も維持され続けている。2022年に勃発したロシアによるウクライナ侵攻でもルガンスク、ドネツクの親ロシア派民兵がモシンナガンを装備している姿が見られた。
かなり余談となるが、NHK制作のドキュメンタリー『映像の世紀』の冒頭にて、ヨシフ・スターリンがM91/30の狙撃型(ボルトが鉤状になっている)を構えている映像があった。
各種バリエーション †
モデル | 解説 |
M1891 | ロシア帝国時代から使われている小銃、20世紀初頭に大量生産され、第二次世界大戦時にもほとんどが現役だった |
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M1891/30 | M1891の近代改修型、M1910を基に機関部の簡略やコストダウンが図られ、照尺の表示もメートル法に改められた |
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M1910 | M1891の騎兵銃モデル、着剣装置廃止 |
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M1938 | M1891/30の騎兵銃モデル、着剣装置廃止 |
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M1944 | M1938に折り畳み式スパイク銃剣を装備した改良型 |
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OTs-48 | トゥーラ・スポーツ狩猟武器中央設計局(TSKIB SOO)で既存の余剰M1891/30を元に、2000年ごろに作られた近代化モデル |
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OTs-48K | ブルパップ化された上記の短縮版 |
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wz.1891 | マウザーシステムを取り入れたポーランド生産型 |
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wz.1891/30 | wz.1891の近代改修型 |
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M/24 | フィンランド向けに同国で設計されたフィンランド生産改良型 |
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M/28 | M/24の改良型、さらにアップグレードしたM/28-30も存在する、シモ・ヘイヘは本銃の短銃身改造型を使用していた |
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