陸軍造兵廠 十四年式拳銃 【自動拳銃】 †
| 全長 | 重量 | 口径 | 装弾数 | 製造国 |
| 230mm | 920g | 8mm×21 | 8+1 | 日本 |
大正13年(1924年)に、陸軍造兵廠名古屋工廠で開発された自動拳銃。
南部 麒次郎が設計した南部大型自動拳銃をベースに、問題だった製造コストと耐久性を解決するための簡略化と、安全機構の見直しが行われ、大正14年(1925年)に『十四年式拳銃』の制式名で採用された。南部 麒次郎は十四年式の設計そのものには関わっておらず、有名な『南部十四年式』と言う呼び方は第二次大戦中にアメリカ軍兵士が付けた誤解含みの名前が広まったもの。
三八式歩兵銃と並んで、旧日本軍を象徴する存在であり、大正から昭和の旧軍解散直前まで製造され続け、将校や憲兵の携帯火器、またはパイロットや戦車兵の護身火器として終戦まで活躍した。陸軍用と海軍用、一般兵用と憲兵・士官用などの刻印等の異なる派生型があるが、基本的には同じものである。
作動はショートリコイルで、発砲の反動によって銃身とボルトがわずかに後退すると、内部のロッキングブロックが揺動することでロックが解かれ、銃身の後退が止まり、ボルトだけが後退するしくみ。外見こそドイツのルガー P08と似ているが、むしろモーゼル拳銃に近いメカニズムである。開発当時、セミオートマチック拳銃の開発で先行していたヨーロッパの製品を参考にしたことが伺える。
銃自体の性能はと云うと、当時の諸外国の拳銃と比べると見劣りがする。まず丸型のトリガーガードが小さく、手袋をしていると指が入らない*1。ファイアリングピンの不良で不発が多い。弾倉の固定が甘く、射撃時の衝撃で脱落する。板バネによるストッパーで改修されたかと思えば、今度は弾倉が思ったように抜けず、弾倉の問題は最後まで解決されなかった。そして8mm南部弾は、ドイツの7.65mmルガー弾によく似たボトルネックカートリッジだったが、実測値では大きく劣り、.380 ACP弾程度かそれ以下の威力しか無かった。
一方、最終弾発射後にボルトが後退位置で固定されるボルトストップ機能を有していた。マガジンフォロワーが直接ボルトを引っ掛けてホールドする仕組みで弾倉のリロードは難しい構造だったが、そもそも当時の日本軍で、十四年式の予備弾倉を支給・携行するという運用はされなかったため、充分な機能ともいえる。
様々な改良修正を加え続けた十四年式拳銃は何とか諸外国並みの性能を持つに到り、戦後も日本の警察や海上保安庁で使用され、弾薬も1960年代まで国内で製造されていた。前述のトリガーガード問題も手袋着用時にも扱えるように、昭和13年以降製造の後期型では形状が変更され大型化されている(上掲画像も後期型)。
一方で、大戦末期の1944〜1945年には工程が簡素化され、表面の研磨処理を省いてブルー処理を施すなどの、粗悪な戦時急造品も作られている。
なお数は不明だが、朝鮮戦争時も北朝鮮軍で将校用に本銃が使用された。
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