南部式自動拳銃 【自動拳銃】 †20世紀初頭、諸外国では次々と自動拳銃が開発され、軍用化していった中で、日本でも時流に乗り遅れないよう開発が進められていた。そこで日本陸軍の東京砲兵工廠製造所の技術将校であった南部 麒次郎が開発したのが、この南部式自動拳銃である。 南部式自動拳銃は、大型の甲型(通称:グランパナンブ)と乙型(通称:パパナンブ)、それに小型(通称:ベビーナンブ)の3種が作られた。甲型はホルスターを銃床として使用でき(1900年代開発当時の自動拳銃の標準装備であり、1930年頃までに開発された拳銃にもよく見られる)、トリガーガードが木製で、アイアンサイトが照尺式であるのに対し、乙型はホルスターストックを廃し、サイトは固定式でトリガーガードがアルミ製で甲型より大きい。 当時、二十六年式拳銃の後継として、南部大型自動拳銃の乙型が、「四一式自動拳銃」という仮称で試験が行われたが、最終的に採用は見送られた。このため、将校が個人的に購入したり、官吏への支給や輸出も行われたが、生産数はごく限られたものとなっている。比較的大口な採用として、乙型が海軍陸戦隊に陸式拳銃という名で、大正13年に1万挺ほど納入されている。 民間・将校の護身用としてスケールダウンして作られた南部式小型拳銃は、威力不足な上に高価だったため、大型よりさらに生産が限られたものとなった。
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