全長 | 重量 | 口径 | 装弾数 | 製造国 |
1625mm | 34kg | 12.7mm×108 | メタルリンク給弾方式 | ソビエト連邦 |
ソ連によって1938年に開発された大口径重機関銃。
DShKはデグチャロヴァ・シュパーギナ・クルプノカリベルニ(Degtyareva-Shpagina,Krupnocalibernyj:Дегтярёва-Шпагина Крупнокалиберный)の略。
「デシーカ」「ダッシュK」とも呼ばれる。
前身となったのは、DP軽機関銃をスケールアップして開発された12.7mm口径・ドラムマガジン式のDK(Degtyarev,Krupnocalibernyj:デグチャレフ大口径)機関銃である。
対航空機・対戦車攻撃を目的とし、DPの生みの親たるヴァシリ・デグチャレフ中将が引き続き開発指揮を執ったDKであったが、遅い連射速度と重くてかさ張るドラムマガジンが兵士達の不評を買い、わずか二年で製造中止となってしまった。
これに代わる大口径機関銃を求めたソ連軍部は、新機関銃の開発担当にゲオルギー・シュパーギンを据えた。
シュパーギンは給弾方式をメタルリンク式給弾に変更し、ドラムマガジン式給弾では作動不良を起こすために上げられなかった連射速度を毎分550〜600発まで向上させた。この改良型DKは軍部によるテストを受けた後、1939年に「12.7mm Krupnocalibernyj Pulemet Degtyareva-Shpagina(12.7mm大口径機関銃 デグチャレフ-シュパーギン), DShK」としてソ連軍に制式採用された。
DShKはボルトの前後動に伴って回転する歯車を利用した特殊な給弾方式を採用していたが、後により小型で信頼性のある給弾機構に改良され、M1938/46・DShKMとして採用された。
かくして戦線に送られたDShKは、第二次世界大戦時、既に重装甲化していた戦車には効果が薄かったものの、対軽装甲兵器としては十分な働きをした。また低空飛行からの攻撃を行うドイツ軍機に対して、DShKによる対空砲火は大きな脅威となった。
DShKとDShKMは西側のM2重機関銃に相当する兵器として、ソ連以外でも中国、パキスタンなど多くの国で使用され続けた。現在は徐々に退役し、後継のNSV重機関銃やKord重機関銃に置き換えられつつあるが、ロシア軍内でも未だに現役として使用が続けられている上、アフリカの紛争地帯では民兵のテクニカル(市販のピックアップトラックを改造した武装車輛)の搭載機銃としても現役である。
映画においても登場する機会が多いが、実際にはブローニングM2に、DShKに似せたガワをかぶせたプロップであることも多い。
最新の10件を表示しています。 コメントページを参照