ジョンソン M1941軽機関銃 / Johnson M1941 Light Machinegun 【軽機関銃】 †
アメリカのメルヴィン・ジョンソンJrによって開発された軽機関銃。ジョンソン自動小銃と同時に開発され、主要な多くのパーツが流用されていた。
ジョンソン軽機関銃は、当時アメリカ陸軍で使用されていたBARより優れた要素を幾つか備えていた。バレルジャケットによる空冷式の銃身はフォアエンドのピンを押すだけで着脱可能なクイックデタッチ機能を備え、ストック内部にまで伸びたリコイル・スプリングはテンションの調節が可能で、連射速度を変更することができた。命中精度もBARに比べ高く、より軽量で軽機関銃としては携行性に非常に優れていた。
撃発は、セミオート時はクローズドボルトだが、フルオート時は冷却効率を高めるためオープンボルトに移行するという、FG42に似た特徴を持っていた。
作動は自動小銃モデル譲りのショートリコイルで、閉鎖にロータリーロッキングボルトを用いるのもほぼ同様である。これらの機構は軽機関銃としても少数派だったが、ドイツ設計の汎用機関銃であるMG30と、その後継のMG34という著名な先駆者がある。
給弾は20連発のシングルカラムのバナナ形ボックスマガジン。珍しいことにこのマガジンにはマガジンリップが無く、かわりにマガジンハウジングに差し込むと、自動的に開放されるストッパーが内蔵されていた。マガジンはレシーバー左側から挿入するタイプで、弾を消費するにつれ重量バランスが変化してしまうなど不都合もあったが、現場では味方が装填の補助をしやすいということで、好評だったようである。また排莢口から、M1903用のストリッパークリップを使って直接給弾することもできた。マガジンの容量は20発であるが、マガジンウェルのスペースが非常に長いため、この方法を用いてマガジンを含めて最大25発までを装填することが可能であった。
開発者のジョンソンは、BARに代って軍に採用されることを意図し、ジョンソン自動小銃と合わせて採用すれば訓練の手間を省略できると売り込んだ。しかし当時米陸軍はすでに配備していたBARの性能に満足しており、ジョンソンの提案には全く乗り気でなく、ジョンソン軽機関銃を制式採用することはなかった。
アメリカ海兵隊の予備役大尉でもあったジョンソンは、自身の海兵隊にも自動小銃と共に本銃を売り込んだ。このときは、(ライフルと)同様の理由で採用されることはなく、その後オランダ領東インドの植民地軍に採用されたものの、配備以前に日本軍に占領されてしまったことから、莫大な在庫としてくすぶっていたところを、海兵隊によって再び拾い上げられている。本来オランダ領東インドへ送られるはずだった第一ロットの500挺は、ジョンソン自動小銃と共に新設の落下傘大隊に配備され、ソロモン戦で初めて投入されている。
後に改良型として「M1944」が作られた。これはストックを木製から、2本の鋼管を組み合わせた金属製に変更し、バイポッドからバーチカル・グリップを兼ねたモノポッドへと変更したモデルである。戦後は一部がイスラエルの手に渡ったようで、このM1944を元にドロール軽機関銃が開発された。
動画 †
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