陸軍造兵廠 九九式小銃 【小銃】 †
モデル | 全長 | 重量 | 口径 | 装弾数 | 製造国 |
九九式(長)小銃 | 1258mm | 4.1kg | 7.7mm×58 | 5 | 日本 |
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九九式短小銃 | 1120mm | 3.7kg |
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九九式狙撃銃 | 1120mm | ?kg |
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塹壕仕様 (正式名称不明) | 1120mm | ?kg | 7.7mm×58 | 30 |
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当時の大日本帝国陸軍によって開発されたボルトアクション式小銃。1939年(昭和14年)に当たる皇紀2599年に制式採用され、太平洋戦争の開戦する同年の昭和16年より製造が開始された。前年に陸軍兵器廠の支廠となった各地の陸軍造兵廠で製造が行われた。上掲画像の一挺のように、現在のマツダの前身である東洋工業などの民間企業でも製造されている。
6.5mm弾の威力に不安を感じていた日本陸軍は、三八式と同程度の性能を持ちながら威力が高い小銃を欲していた。当時の欧米列強諸国が7〜8mm口径の小銃弾を使用していることに着目し、補給と生産性の観点から九二式重機関銃の7.7mmSR弾「九二式実包」をそのまま使える小銃と言うコンセプトで開発が進められた。ただし開発中、改良の進んだ九九式実包が完成したことにより、九九式小銃はこれを標準弾薬として制式化された。セミリムド薬莢だった九二式実包に対し、九九式実包は作動不良の解消のためリムレス薬莢となり、歩兵銃用として発砲時の負担を軽減するため減装された。九二式実包は、九九式小銃には使えなくなったが、九九式実包は九二式重機関銃や九九式軽機関銃との共用が可能であった。
後に短銃身型の九九式短小銃が作られ、およそ250万挺が製造されて実質上の主力歩兵銃となっている。これによって俗に短小銃が「九九式小銃」と呼ばれ、一方、九九式小銃はおよそ38000挺に留まったことから、区別のため「九九式長小銃」と呼ばれる事もあった*1。他に短小銃にスコープを装着した九九式狙撃銃と、短小銃を二つに分解できる二式テラ銃(テ=挺進、ラ=落下傘の頭文字。挺進落下傘部隊が使用したことからこの名が付いた)がある。
また第一次世界大戦末期にドイツ軍が採用したGew98/18のように、九九式軽機関銃の30連発マガジンを装填する塹壕仕様が試作されていたが、実戦投入はされなかったようである。
本銃の初期型は量産品としては優れた品質で知られており、量産小銃としては初のクロームライン銃身を持ち銃身の耐久性を増していたほか、対空射撃を考慮して対空照尺と一脚が搭載されていた。しかしこうした豪奢な仕様は戦中期には既に廃止され、基本的な品質自体も粗悪になっていった。戦後のライフルコレクターにはこの初期型の性能を高く評価する者も多い。
また、一部は自衛隊の発足当初(「警察予備隊」と称していた頃)の装備としても使用され、アメリカ軍のM1ガーランドなどと同じ7.62mm×63仕様に改造された物もあった。しかし、7.62mm×63弾は九九式には少々威力が大きすぎ、こちらの評判はあまり良くなかったらしい。
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