南部銃製造所 九四式拳銃 【自動拳銃】 †
全長 | 重量 | 口径 | 装弾数 | 製造国 |
187mm | 720g | 8mm×21 | 6+1 | 日本 |
南部 麒次郎が設計した自動拳銃。
当初は民間用の護身用拳銃として設計されていたが、日本陸軍が十四年式拳銃よりも小型の拳銃を要望したのを受けて軍用に製造され、準制式拳銃として採用された。採用年の1934年が皇紀2594年だったため、九四式拳銃という制式名になった。
ハンマー内蔵式で独立降下式のロッキングブロックが組み込まれ、整備時の事故をなくすため、弾倉を抜いた状態では撃発しないようマガジンセイフティが取り入れられた。マニュアルセイフティも右手の親指で操作するタイプとなっている。十四年式拳銃はジャム、不発、スプリング・撃針破損が多発したが、九四式拳銃はほとんど無事故でよく作動したという。特異な形状で小さなグリップは、欧米人からすれば握りにくいとも言われるが、重量バランスやグリップ形状は日本人にとって丁度良く、回転式拳銃並に握りやすかったという。
しかし欠点も多い。コッキングピースが小さい上、リコイルスプリングが強力なため、初弾の装填にかなり力が必要だった。その上、シングルアクションながらトリガープルが並みのダブルアクション銃以上に重かった。安全性の向上を目的としたらしいが、命中率に大きな影響があったと思われる。また、スライドストップが無いため、前述の理由と相俟って再装填にも時間を要する。
また、よく言われるのが暴発しやすいということ。九四式はシアの一部が外部に露出していたため、セイフティオフの際ここに一定方向の力が加わるとトリガーを引かなくとも弾が発射されてしまうという事実がある*1。大戦末期には粗悪な戦時急造品が増えたこともあって、アメリカ軍からは『スーサイド ピストル(Suicide Pistol;自殺拳銃)』とまで呼ばれてしまった。屈辱的な蔑称だが、安全対策がお粗末だったのは確かなようで、M1911の様な安全対策の充実した拳銃に慣れた目には、理解しがたい銃と見えても無理からぬことかも知れない。
とはいえ、日本軍では元来、拳銃の携帯時は薬室から弾を抜き、弾倉も装填しないよう徹底していたため、日本軍での運用上で九四式が実際に暴発したことはなかったようだ。また、拳銃の予備弾倉を支給、携行するといった運用もされておらず、スライドストップがないのもそもそも交戦中の再装填が考慮されていない設計であったようだ。
余談だが、日本陸軍は予算の都合上、拳銃をどうしても必要とする部署の将校・下士官にのみ制式拳銃を支給していた*2。つまり、それ以外の将校たちは、自身に必要と判ずるなら自費で調達しなければならなかった。そんな中、国産で比較的安価だった九四式の登場は、懐具合の寂しい将校に歓迎されたという。
ちなみに陸軍将校たちが民間商社を頼って海外から購入した拳銃は、M1910、M1903を始め、ドイツのP08、P38、果てはオーストリアのステアー M12のようなマイナーなものまで、数ヶ国、10ブランドを超えた。
第二次世界大戦後には、しばらくの間、警察組織では二十六年式拳銃や十四年式拳銃と共にGHQから返還された本銃が使用されていた。
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