東京砲兵工廠 二十六年式拳銃 【回転式拳銃】 †![]()
1893年に旧日本陸軍が開発した初の国産制式拳銃で、ダブルアクションオンリーの中折れ式リボルバー。 研磨処理された表面やサイドプレートの開閉機構は凝っているが、当時の技術的限界から、設計上参考とした各国の銃と比べ構造自体はシンプルであった。独立したシリンダーストップ部品がなく、トリガーを引き切ったときだけシリンダーの回転をロックする仕組みは、天然のロシアンルーレットだった。馬上での使用が考慮されて、片手での連射が容易に行えるよう、発砲に際して操作するのはトリガーのみとしたことから、撃発はダブルアクションのみで、安全装置はなかった。開発当時の基準は分からないが、現存する二十六式拳銃を撃ったところ命中精度はすこぶる悪かったとか(元々騎馬突撃や暴徒鎮圧時の突入乱射・榴弾発射を目的としていたため、速射性と耐久性に重点を置き、命中精度を求めてなかったらしい)。銃弾の口径に対しライフリングの谷径を深く取ってその間隙から発射ガスが抜けるよう設計されていたことから、銃弾の初活力は非常に弱く*1、「狙い撃った豚の鼻がクッションとなり弾丸がポトリと落ちた」といった逸話が伝わるほどだった。 大正14(1925)年に制式拳銃の座を十四年式拳銃へ譲ったが、生産は1930年年代まで継続されて6万挺近くが製造されたと云われる。第二次世界大戦中も使用され、戦後の日本警察でもGHQによってM1917やM1911といったアメリカ製拳銃が供与されるまで使用された。アジアの一部の地域では1970年代まで使用されていた。 余談ながら、この銃は1936年の「2.26事件」においても使用されており、標的の1人となった鈴木貫太郎侍従長は、至近距離から発射された銃弾3発を受けた(左頭部と左胸部と左足)にもかかわらず、辛うじて一命を取り留めた。このことから、この銃が低威力といわれても致し方あるまいと思われる。
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