USSR PTRD1941 / СССР ПТРД-41 【対戦車半自動小銃】 †
1941年に当時のソ連軍に採用された、ヴァシリ・A.デグチャレフ設計による対戦車ライフル。「PTRD-41」または「デグチャレフ対戦車ライフル」とも呼ばれる。S.G.シモノフ技師によって設計された対戦車ライフル「PTRS1941」とともに、大祖国戦争で投入された。
PTRDは、弾倉が無く一発ごとに手動で弾込めが必要ではあったが、リコイル作動による自動排莢機能を有していた。また、ガスオペレーション式だったPTRSに比べ構造的にシンプルで、機械的信頼性と生産性に優れていたため、優先的に生産が行われた。
PTRDのストックは、衝撃を吸収するダンパーとリコイルバッファを兼ねており、発砲時には、バレル・レシーバー・トリガー・グリップと、ストック以外の主要な部位がまるごと後退する構造だった。つまり、ストックを射手がしっかりと支えない限り、発砲の際リコイル作動が機能せず、自動排莢が行われない仕組みだった。ストック右サイドに固定された丸穴の空いたプレートはボルトガイドで、発砲によってレシーバーごと高速で後退してくるボルトハンドルにぶつかり、直接跳ね上げることでロックを解くという部品である。これによって最終的に薬室が開放されて、レシーバー下に向かって排莢が行われた。弾薬の装填はレシーバー上部の窓から行う。
一方、バイポッドがバレルに直接固定されているため、バイポッドを立てた伏射ではリコイル作動が阻害されてしまう。この場合、射手は手動でボルトハンドルを操作し排莢を行う。自動排莢を動作させたい場合は、依託射撃にバイポッドは使わず、適当な高さのバッグや遮蔽物などに銃身を載せて後座しやすくする必要があった。
1〜4号戦車までの比較的軽装甲だったドイツ戦車に対しては、正面からはともかく、側面や後方からの攻撃なら、タングステン弾芯の14.5mm×114弾は充分な貫徹力を当初は発揮した。しかしパンター*1、タイガーといった強力な戦車が現れ、ドイツの主力であった3、4号戦車にも様々な対策がとられ始めると、直接装甲を貫徹して乗員やエンジンなどを攻撃することが困難となった。
このため、PTRDはPTRSと共に遅延兵器として使われるようになり、覗き窓やハッチ、キャタピラといった比較的脆弱な部位、または索敵のためにハッチから顔を出すことのある乗員を狙うよう、射手に指導がなされた。
第二次大戦後はPTRSと同様に中国や北朝鮮などに供与され、朝鮮戦争でも使用されている。
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