スプリングフィールド・アーモリー / Springfield Armory † 「スプリングフィールド」には、かつて存在したアメリカ国営のスプリングフィールド・アーモリー(造兵廠)と、民間にブランドが売却された後のアメリカの民間企業スプリングフィールド・アーモリーIncがある。 スプリングフィールド造兵廠(Springfield Armory) † スプリングフィールド造兵廠は米・マサチューセッツ州スプリングフィールド市にかつて存在していた、国営の軍用品生産施設。 1787年には反乱軍によって襲撃されるも、備蓄されたぶどう弾と砲によりこれを撃退し、1890年の南北戦争の最中には、古い砲を鋳潰して敷地全体を覆う巨大なフェンスを建造するなど、単なる生産施設に留まらず城砦としても高い能力を有していたことが知られている*1。こうしたエピソードは、後述のブランドを継承した民間メーカーで生産されているAR15クローン「セイント(守護聖人)」の名称の由来ともなっている。 1793年には重・小火器関係の様々な生産施設が統合され、野砲、砲弾や銃弾、剣などの生産も行われるようになり、「国営兵器庫(National Arsenal)」、または「Springfield Armory(スプリングフィールド造兵廠)」と呼ばれるようになった。この影響で、スプリングフィールド市では銃火器関係の研究・開発が盛んに行われ、アメリカ各地からガンスミスなどが多く集まるようになった。この地でライフルストックを大量生産するための専用の旋盤といった、大量生産のための優れた技術が発明され、スプリングフィールド造兵廠の生産能力は飛躍的に高まっていった。 この時期、アメリカの有名な反戦派の詩人H・W・ロングフェローがこの工場を訪れているが、100万挺ものライフルが整然と立て掛けられて保管されているさまを「巨大なオルガンのようだ」と珍しくその美しさを讃えている。 その後、南北戦争や二度の世界大戦などを通してM1863 ライフルマスケット銃やM1892、M1903、M1ガーランド、M14といった米軍の歴代制式小銃を一貫して生産・供給し続けた。 こうした多くの実績を残したものの、ベトナム戦争時代に差し掛かる頃には、生産技術の限界からかつてのような最先端の軍需施設として運営し続けることは難しくなっていた。最終的に、当時の国防長官ロバート・マクナマラにより閉鎖が決定。外周の敷地は売却され、主要な施設・敷地・建物は記念公園及び博物館として残された。 自動拳銃 †小銃 †スプリングフィールド M1865 自動小銃 †スプリングフィールド・アーモリーInc(Springfield Armory,Inc.) † 1974年にロバート・リース(Robert Reese)が設立した銃器メーカー。 コルト社のM1911に関するパテントが失効した90年代の半ばからは、TRP、FBIビューローモデルなど、高性能なM1911系クローンモデルの販売を開始。これらの製品が高い評価を得て、自動拳銃市場においても大きな存在感を持つ銃火器メーカーとなった。 自動拳銃 †スプリングフィールド M1911A1 自動小銃 †スプリングフィールド M1A(M14の民生型) 突撃銃 †スプリングフィールド SAINT(AR15クローン) 外部リンク †コメントはありません。 Comments/スプリングフィールド?
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