テキサスタワー乱射事件 †1966年、テキサス大学構内の時計塔から、多数の通行人が無差別に銃撃された銃乱射事件。 テキサス州オースティン市、8月1日11時ごろ。犯人チャールズ・ホイットマン(Charles Whitman)25歳は、テキサス大学の中心にそびえる高さ90メートルの時計台『テキサスタワー』に、様々なものが詰まった重い数個のバッグを台車で運んでいた。バッグの中身はレオポルド社製4倍率スコープ付き.30口径ライフル(レミントン M700)、.30口径の軍用カービン銃(ウィンチェスター M1)の他、9mmのオートマチック(ルガー P08)と.357マグナムのリボルバー(S&W M19)、12ゲージのソードオフした散弾銃、レミントン製.35口径ポンプアクション・ライフル、口径6mmのライフル(いずれも詳しい銃種は不明)などの銃器と弾薬。ナイフ数本、ハンマーなどの工具類、さらには籠城と空腹に備えて、食料(サンドイッチ、菓子類、コーヒーに水の入った水筒)まで用意していた。同校で建築学を学んでいた彼は疑われることもなく校内に入り11時半にはエレベーターでタワーの受付に着いた。 不運な受付嬢をライフルの銃床で撲殺した後、展望台にいた民間人を追い出してバリケードを構築したホイットマンは最上階に登ってきた観光客の家族に散弾銃の銃撃を加えて2人をまず血祭りに上げ、最上階の展望台に陣取り、正午の時報が鳴る直前11時48分、眼下の何も知らぬ通行人を手当たり次第に撃ち始めた。 ホイットマンは既に前日の夜、自分の母親マーガレットと24歳の妻キャシーをナイフで殺害していた際、遺書を残していた。 この事件がアメリカ社会に与えた衝撃は大きかった。例によって銃規制の強化策は実らなかったものの、前年8月に発生したワッツ暴動とこれを契機に武装犯・凶悪犯に対抗するため、LAPD(ロサンゼルス市警察)をはじめ全米の警察機構でSWATが組織されることとなった。 コメントはありません。 Comments/テキサスタワー乱射事件?
|