SPIWは、アメリカ陸軍主導による長期的な兵器開発プログラム、及び開発された試作銃の総称である。
大口径弾一発の威力よりも小口径弾で連射性・集弾率が高いほうが良いという研究結果の下、フレシェット弾(ダーツのような弾)を使用したり、複数の銃身を備えていたりなど、数多くの試作銃が開発された。
1950年代、M14の後継銃の開発を発端に始まったこの一連の計画は、1990年代まで続けられたが、その後M16(A2)を更新する程の性能を得られず中止となった。
技術力よりも理想(一つの銃に対して複数の機能を求め過ぎた)だけが先走り失敗した例は、その後のOICW計画でも見られる特徴である。
フレシェット弾を使用する個人火器の構想は、1950年代、アメリカ陸軍のSALVO計画から始まる。銃本体はスプリングフィールド社とウィンチェスター社が、またSALVO計画以前からフレシェット弾を開発していたAAI社が計画に招かれ、研究の結果、12ゲージのショットシェルを用いて32発のフレシェット弾を発射する試作弾が開発される。
試射テストでは、500ヤード(460m)の距離で標準的なスチール製ヘルメットを貫通したが、発射されたダーツの分散が目立ち、集弾率は悪いという結果に終わった。研究は新弾薬XM110(5.6mm×53口径のシングルダーツ)を用いて続行。結果は7.62mm×51弾よりやや低い精度だったものの、照準器無し400ヤード(370m)の距離で、同等の貫通力とフラットな弾道を示した。
その後、開発中の0.22インチ口径の銃を用いたテストでは、7.62mm口径と比較し発射時の反動が少ないことが判明。このことは、小口径弾は連射性に優れ、銃自体を小型化しても問題無いということを意味していた。
一方、アメリカ陸軍のORO(Operations Research Office)はSALVO計画の派生として、SPIWとグレネードランチャーを組み合わせるNIBLICK計画を進めていた。要件されたスペックは、一つの銃身からフレシェット弾を、もう一方からグレネード弾の発射が可能で、フレシェット弾60発/グレネード弾3発のフルロード状態で重量10ポンド(4.5kg)未満に抑えるというもの。
AAI社、スプリングフィールド社、ウィンチェスター社、H&R社の4社が試作銃トライアルに参加したが、複数の銃身を持つため巨大化は避けられず重量オーバー、フレシェット弾自体が高価、豪雨時は発射されたダーツがいとも簡単に偏向してしまう・・・などの理由で、全てトライアルから脱落している。
1966年、SPIW計画はメンテナンスモードに入り、代わりにM16が採用された。これはベトナム戦争への新ライフル早期投入・・・という事情があり、短期間では十分な研究・テストができなかったという理由もある。
その後、AAI社は自社製ライフル・XM19(フレシェット弾を使用する突撃銃)に装着するセミオートランチャーを水面下で開発。しかし薬室内に蓄積された熱によって引き起こされるコックオフ現象のせいで、実用化は困難を極めた。
皮肉なことに、AAI社が提唱したアドオンタイプのグレネードランチャーは、実は有用性があることが後に判明。1968年にM16に装着するM203が登場したことから、その理由は明らかである。
1969年、AAI社参加の下で実施された計画。これは、GE社が開発した「デュアルサイクルライフル」(5.56mm×45口径、リボルバータイプの突撃銃)に対抗するためだと言われている。スプリングフィールド社製SALVOライフルがベースになっている。
本計画は米国議会から資金の無駄遣いと判断され、予算の縮小を余儀なくされた。最終的にテストが始まったのは1974年である。
1980年代初頭に実施された計画で、CAWSを始め幾つかの試作銃が提出された。良好な評価を出したものの、100ヤードの距離での強力な火器の運用は疑問視され、計画は凍結された。
1990年代初頭に実施された計画で、フレシェット弾を使用するコルト ACRやステアー ACR、ケースレス弾を使用するG11などがトライアルに提出された。しかし、M16を超える性能を出せず、計画は凍結された。
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