ユージン・モリスン・ストーナー
Eugene Morrison Stoner (1922〜1997) †
アメリカの象徴ともいえる突撃銃、M16の父。
ハイスクール卒業後、航空機会社に就職し航空機用火器の整備を学び、第2次大戦中は海兵隊に入隊し太平洋戦線を転戦した。戦後、航空機会社フェアチャイルドの銃器開発部門アーマライトの技術者となり、スポーツライフルの開発を次々と行う。そして1955年に原点とも云うべきAR10を開発し、その数年後にAR10の小口径モデルであるAR15を開発。これがアメリカ軍にM16の名前で採用された。
AR15の製造権がコルトに売却された後は、より優れた設計を試行錯誤しAR16やAR18を設計するが、AR15に勝るものではないと悟ったストーナー氏は、1961年にアーマライトを退社。AR15の研究に携わる為のコルトの技術コンサルタントになろうと考えていたが、最終的によりよいアイデアを実現するため、キャデラック・ゲージ社の協力でアーマライト社の2人の同僚を獲得。共に同社で新しいモジュラー小銃システムの開発を行った。そこで完成したのが、パーツの交換で小銃、機関銃に変化するストーナー M63である。
しかしその後も彼は開発環境に満足せず、1972年にはアレス社を共同設立。ストーナー63とAR15の合いの子とも言えるアレスLMGを設計したが、これにも満足することなく1989年に退社。最終的に、彼は彼の熱狂的な「ファン」であるリード・ナイト氏の所有するナイツ・アーマメント社に参加。SR-25などの優れた銃火器を多く開発。1997年に癌でその生涯を閉じた。
東西冷戦の最中に超軍事大国の制式小銃を作り上げた、ミハイル・カラシニコフ氏とはたびたび比較される。特にカラシニコフ氏と違い、彼は資本主義経済の中でパテント料によって莫大な富を得、自らの望むままに自由な生活を送った点は大きく異なるだろう。