ミュンヘンオリンピック事件 †
1972年9月5日、旧西ドイツのミュンヘンで発生した人質事件。別名『黒い九月事件』。
ミュンヘンオリンピックに参加中のイスラエル選手村を、AK-47突撃銃と手榴弾10個で武装したパレスチナ系テロリスト『黒い九月(ブラックセプテンバー)』8名が敷地のフェンスを乗り越えて侵入し、上階のイスラエル選手団フロアを襲撃。イスラエル人選手とコーチの2名を射殺し9名を人質に取った後、籠城に入り、イスラエルに逮捕されていた同志234人の釈放を要求する。これに対しイスラエル政府は自国の対応部隊の派遣を西ドイツ政府に申し出るが、西ドイツ政府はこれを拒否し自国の地元警察で対応。要求を飲んだと見せかけ、バスでの移動途中もしくは用意された脱出機の搭乗直前に一斉狙撃を行う作戦を立てた。フュルステンフェルトブルック空軍基地でヘリコプターから降りた犯人グループが脱出機として用意されたルフトハンザ機に乗り込む寸前に警察官が発砲するが、夜中で視界が悪く狙撃は犯人グループの1名を殺害、1名を負傷させるも不完全に終わり、生き残った3名のテロリストとの銃撃戦に発展。
犯人らはヘリコプター1機を手榴弾で破壊するなどして激しく抵抗したため、銃撃戦は長時間に及び最終的にテロリスト5名の射殺と3名の逮捕を果たすが(だが、この3名は1972年10月29日のルフトハンザ航空615便ハイジャック事件で解放されることになる。)、代償に人質9名全員と脱出機の操縦士及び警官1名が死亡し、オリンピックは一時中断する最悪の結果で幕を降ろした。
西ドイツ政府はこの手痛い事件を教訓として、抗テロを目的とした専門部隊:『GSG9(国境警備隊第9部隊)』を設立する。
また狙撃に於ける失敗(暗視装置が無かったうえ、照明も十分でないまま深夜に狙撃を行った事。任務にあたった地元警察官が専門の訓練を受けた狙撃手ではなかったこと。使用したのがスコープも無いG3だったこと)から、西ドイツ政府はワルサー、H&K等に代表されるドイツの銃器メーカー各社に対テロ任務に特化した狙撃銃の開発を依頼。PSG-1、WA2000といった名銃が完成する。
余談ではあるものの、この事件ではテロリスト達と同じく、日本選手団も非難された。
各国選手団が悲劇的な結果に沈んでいるのに競技再開に喜んだり、追悼式に黒い喪服でなくジャージ姿で参列したり、『練習』と称し追悼式に参列しなかった選手が多かった為、『メダル=アニマル』と揶揄されたのだ。
後日談となるが、イスラエルは本事件の報復として諜報特務局――通称『モサド』を派遣。この作戦は『神の怒り作戦』と呼ばれ、他のテロ事件の要求により解放された実行犯の生き残りと、その関係者を執拗に追い続け、1991年に最後の1人、アリ・ハサン・サラメを殺害し報復を達成した。
ただし作戦は順調に行われたわけではなく、バス停に居た事件とはまったく無関係のモロッコ人をアリ・ハサン・サラメ当人と勘違いして射殺してしまったり、諜報員5名がその逃走中にノルウェー警察に逮捕された挙句、車や名簿などが押収されたりと、不手際を重ねている。結局、サラメ殺害は、通りに車爆弾を仕掛け、サラメの乗った車が傍を通った瞬間にもろ共爆破するという、爆弾テロそのものの手口で行われている。
上記の事件については、ノンフィクション小説『標的(ターゲット)は11人 モサド暗殺チームの記録(ジョージ=ジョナス著)』『ミュンヘン(マイケル・バー=ゾウハー、アイタン・ハーバー著)』及び、その著書を原作としている、映画『ミュンヘン(スティーブン=スピルバーグ監督)』にて描かれている。
『ミュンヘン』はこの“神の怒り作戦”に関わった“アヴナー(仮名)”という元工作員の実話に基づくものとされている。イスラエル政府と元モサドの重要幹部等は、映画で描かれたことを否定しているようだが、『ミュンヘン』の著者アイタン・ハーバーは元首相の補佐であったので、そうともいえないのである。