ラハティ・サロランタ M1926軽機関銃 / Lahti-Saloranta M/26【軽機関銃】 †
M1926(M/26)軽機関銃は、フィンランド軍の技術将校アイモ・ヨハンネス・ラハティとアルヴォ・E・サロランタ中尉が開発した軽機関銃である。開発者二人の名をとって“ラハティ・サロランタ M/26”と呼ばれることが多い。 部品点数が非常に多く整備には負担がかかる一方、整備が少しでも滞れば機能不全が頻発し、重量の割に*1装弾数に欠けるなど、運用する兵士の殆どには不評で“Kootut virheet(間違いの詰め合わせ)”と揶揄された。気むずかしい銃ではあったが工作精度そのものは高く、適切な冬用オイルが注油されれば高い動作信頼性を見せ、遅めの連射速度と重い本体重量ゆえ比較的低反動で、劇的な命中精度を発揮したことから、熟練射手には好まれた。マニュアルによれば、8秒ほどで銃身交換ができるとされていたが、運用していた予備役将校の言によると25〜30秒ほどはかかったという。 作動はショートリコイルで、セミ/フルの切替が可能。使用する弾薬は7.62mm×53R弾*2で、これを箱型の20連マガジンに装填して使用する。また、75連のドラムマガジンも対空射撃用に用意されたが、フィンランド陸軍では使用されなかった。このドラムマガジンはいわゆるフラットパンタイプで、装着した際はDP軽機関銃をひっくり返したようなフォルムになる。 1922年頃、ラハティは新型軽機関銃の開発に着手。当時、KP/-22(スオミ KP/-26の試作銃)の完成直後であったが、1923年までには全体像ができあがり、翌々年にはトライアルが行われた。トライアルのための試作銃製作にあたっては、デンマークで自動火器開発を学んだA・E・サロランタ中尉が技術的助手としてラハティの元に送られ、以降は2人で開発にあたった。 ほとんど国内だけで消費されたM/26だったが、1937年に当時の中華民国から7.92mmマウザー弾仕様を30,000挺を受注したことがある。結局引き渡されたのは1,200挺ほどであったが、それでも一応あるものは使われたらしく、日中戦争にもこの7.92mmモデルが使用されたと云われる。
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