継続戦争

 1941年6月25日に、フィンランド軍がソ連領へと侵攻した事で勃発した戦争。
 戦場が東部戦線とほぼ同じ地域でフィンランドは枢軸側陣営であったが、フィンランドが「枢軸軍としてではなく、フィンランドとして旧領奪回を行う」と宣言し、ドイツ軍と一線を引いて行動していたため、東部戦線とは別に扱われている。
 フィンランドにとって冬戦争の続きなので「継続戦争」。または「第二次ソ芬戦争」と呼ばれている。

 フィンランド軍は序盤の侵攻で冬戦争で奪われた旧領を奪回すると目的は達したとばかりに、旧国境線を基準に防衛線を構築し、以後3年間にわたってソ連軍とにらみ合いを続ける(ただしドイツの要請でソ連の生命線であるムルマンスク鉄道を遮断するためソ連領へも侵攻している)が、1944年になって近辺の枢軸軍を駆逐し余裕が出たソ連軍は、フィンランドを枢軸陣営から切り離すべく6月にフィンランド領へと逆侵攻を開始する。
 迎え撃つフィンランド軍はドイツの支援や冬戦争時に得た捕獲装備で冬戦争時より装備は向上していたが、それ以上にソ連軍はドイツとの3年間に渡る激戦で、大量の血と引き替えに装備は勿論のこと指揮系統や作戦能力が以前と比べものにならないほど向上していた。約一ヶ月の戦闘で、ソ連軍は冬戦争では最後まで突破できなかった防衛線を容易く突破し、フィンランド第二の都市「ヴィープリ(ソ連名:ヴィーボルグ)」を解放(占領)。そのままの勢いでなおもフィンランド領へと侵攻してゆく。

 このままドイツに従って戦い続ければ国の破滅と考えたフィンランド指導部だが、無闇に単独講和を行えばドイツの報復によりやはり国が滅ぶ(前年に単独講和を結んだイタリアは、ヒトラーの報復により全土をドイツ軍に占領された)。そこでドイツとソ連の板挟みから脱するべく「ペテン」を仕掛ける。それは、これまで徹底抗戦と唱える事でドイツの援助を引き出していたリュティ大統領が引退して軍司令官のマンネルヘイムへ政権委譲し、新政権は「政権交代した事でフィンランドは、これまでの義務から解放された」と路線変更を宣言。新政権は当初の計画通り、そのペテンの発案者=リュティ前大統領を戦争犯罪人として裁くと共に、継続戦争で奪回した旧領の再放棄と港の譲渡、枢軸からの離脱とドイツへの宣戦布告などのソ連側の条件を飲んで分離講和を果たし1944年7月に戦争は終結した。その一方、国内に駐留していたドイツ軍を掃討するため今度はドイツとフィンランドとの戦争「ラップランド戦争」が起こるが、事前の申し合わせがあった事もあり、比較的平穏にドイツ軍がフィンランドより撤退する事で幕を降ろした(ただしヒトラーの命令で、ラップランド地方の村々は焦土となり、多数の難民が発生した)。

 こうしてフィンランドは冬戦争以上である21万人の死傷者と領土、そして敵味方を入れ替え昨日まで戦友であったドイツ軍と刃を交える事となったが、一歩間違えば国が消滅する危機を綱渡りでくぐり抜け最後まで「国の独立」を保持しきった。一方のソ連も、開戦以来ソ連第2の都市「レニングラード」と米英援助の生命線であるムルマンスク鉄道を脅かされる恐怖から解放され、対ドイツ戦に専念できる様になった。


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Last-modified: 2016-04-13 (水) 00:11:18 (2018d)