チェスカー・ゾブロヨフカ(ズブロヨフカとも)とはチェコ語で「チェコ造兵廠」を意味し、社会主義時代のチェコスロバキア共和国で小火器を含む工業生産に関わっていた国営企業群、または前述のチェスカー・ゾブロヨフカ傘下のメーカーのうち、チェコ共和国独立後に株式会社化された「チェスカー・ゾブロヨフカ・ウヘルスキー・ブロト(以下CZUB)」を指す名称。本項では、この二者のそれぞれについて解説する。
こちらの「チェスカー・ゾブロヨフカ(以下CZ)」とはそもそも単一の企業の名称ではなく、チェコスロバキア共和国の共産主義思想の影響を受けて兵器開発・生産を行っていた複数の企業の総称である。
分かりやすく例えるなら、「CZ」とはチェコスロバキアが所有する国営企業の兵器すべてに与えられるブランドと考えるといいだろう。この”ブランド”には後述するCZUBのほか、ZB26軽機関銃で知られるブルーノ造兵廠なども含まれる。
また、スイスのシグや中国のノリンコなどと同様に、兵器に限らず自動車などの重工業などもCZの名の下で行われていた模様。とりわけ1919年に設立された「チェスカー・ゾブロヨフカ・ストラコニツェ(CZ Strakonice)」は当初対空砲やVz23などの銃器などの生産を手掛けていたが、業績不振をきっかけに、1932年頃から並行して行っていたオートバイ生産へ一本化、その名も「CZ」ブランドのオートバイとして、同じくチェコのオートバイブランドであるヤワ(Jawa)とも肩を並べる存在となった。
チェコスロバキア共和国は第二次大戦時に、ドイツとハンガリーによる侵攻や独立運動によって分裂や併合が繰り返されたのち1945年に再統一。つかの間の自由主義を経て1948年に人民民主主義を宣言、事実上社会主義化する。1960年に国名を「チェコスロバキア社会主義共和国」と改め、名実ともに社会主義国家となる。
このため本項では1948年から1993年のチェコスロバキア分離までの期間に開発された銃器を「CZ」製とする。
なお、ここで取り扱う銃器は、特に明記のない限り、いずれも後述するCZUBによる設計である。
チェコスロバキア第一共和国時代の1936年6月27日に設立された銃器メーカー。チェコ語表記は「Česká zbrojovka Uherský Brod」。現・チェコ共和国東部のモラヴィアの町、ウヘルスキー・ブロトに本部を構えることから社名を取っている。
以下、CZUBと表記する。
CZUBの起源は1936年。ナチス・ドイツの脅威が迫る中、チェコスロバキアの国防省は軍需産業の拠点を国境から遠ざける決断をする。その候補地に選ばれたのが、ウヘルスキー・ブロトであった。
国直営の兵器廠となり「CZ」の名を冠したウヘルスキー・ブロトの工場は小火器生産を専門に請け負い、冷戦時代のチェコスロバキアの国防の生命線となる。やがてチェコスロバキアが、チェコ共和国とスロバキア共和国の2つに分離したのに伴い、町の名前を廃した「チェスカー・ゾブロヨフカ社」として株式会社化。現在にいたるもチェコ最大の銃器メーカーとして操業している。
第二次世界大戦後の共産国家の中でも、高い精度を持った銃器を作る事に定評があり、CZ75やVz61などの傑作を多数生み出している。
一般に「CZ」と言えば、ほとんどの場合はCZUBを指すほどまでに、CZの中ではメジャーな存在である。
その証左のエピソードの一つといえるのが、Vz58の存在。当時、東ヨーロッパ諸国がソ連の影響を強く受け、そのほとんどがソ連制式突撃銃であるAK47をライセンス生産して制式配備しているにもかかわらず、チェコスロバキアだけはCZUBによる独自設計のVz58を製造していた。このことからも、いかにCZUBの工業製品の精度が、国内外で高く評価されているかがうかがえるだろう。
以下は、株式会社化後のCZUBによる設計の銃火器。チェコスロバキア時代のCZUBについては、前項目を参照されたし。
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