モデル | 全長 | 重量 | 口径 | 装弾数 | 発射形式 | 製造国 |
SVT-38 | 1222mm | 3.95kg | 7.62mm×54R | 10 | S | ソビエト |
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SVT-40 | 1226mm | 3.85kg |
SVT(トカレフ自動装填式小銃)は、トカレフ自動拳銃で知られるヒョードル・バジレヴィッチ・トカレフ技師によって設計された、セミオートマチックライフルである。1930年代、当時の主力だったモシンナガン小銃?に替わるソ連軍の新しい歩兵銃として開発された。
作動はショートストロークのガスオペレーションで、閉鎖機構はティルト式ボルト。この構成は後のベルギー製FAL自動小銃と同様のもので、SVTはその先駆者であった。
最初の生産型は、1938年にSVT-38として制式化され、1939年からのフィンランド侵攻(冬戦争)に投入された。しかし、支給された新型ライフルへの兵士たちの評価は全く芳しくなかった。長くかさばって取り回しが悪く、構造が複雑でメンテナンスが困難、着脱式のボックスマガジンは脱落しやすかったうえ、モシンナガンから引き継がれて採用された7.62mmx54R弾は決して均質とは言えないもので、給弾不良をよく引き起こした。
そこで、これらの改良を図ったのがSVT-40である。マガジンキャッチの改良と本体の軽量化が行われ、不均質な弾薬でも装填と抜弾をスムーズに行えるよう、薬室が改修された。構造も簡略化され、生産性と整備性の向上が図られた。この新モデルは1940年に制式化され、ソ連軍の下士官向けの装備として支給された。冬戦争中、SVT-40はフィンランド兵に鹵獲され、森林戦におけるSVT-40の速射能力が高く評価されている。
一方で、主力小銃はモシンナガンM1891/30に立ち返って生産が継続されたため、独ソ戦の始まる1941年には、編制のおよそ3分の1をSVT-40が占める規模となっていた。
しかし、独ソ戦の最初の一ヶ月で甚大な被害をこうむったソ連軍は、戦力建て直しを図る上で、SVT-40の生産をしぼり、リソースをモシンナガンと、SVTよりも安価でシンプルな自動火器であるPPSh-41に振り分けた。これにより、1945年の生産終了までに、SVTの総生産数はおよそ580万挺に留まっている。なお、5万挺程がスコープを備え付けられ、狙撃銃として仕立てられた。また、わずかではあったが、銃身を短小化したカービンモデルのSKT-40も作られている。
AVT-40はSVT-40にセミ/フルのセレクティブファイア機能を追加したモデルである。15発、20発マガジンが作られ、当時不足していたデグチャレフ軽機関銃を補うために開発されたが、7.62mm×54R弾をフルオートで射撃するには無理があり制御ができず、銃本体が衝撃に耐え切れず破損してしまう危険もあるなど問題が多く、実用的ではなかった。
登場作品 | ジャンル | 使用者 | 備考 |
ウィンター・ウォー 〜厳寒の攻防戦〜? | − | − | 項目参照 |
コール オブ デューティ: ユナイテッド オフェンシブ | − | − | 項目参照 |
コール オブ デューティ2 | − | − | 項目参照 |
コール オブ デューティ: ワールド アット ウォー | − | − | 項目参照 |
メダル オブ オナー アライドアサルト リロード | − | − | 項目参照 |
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