全長(伸長時) | 重量 | 口径 | 装弾数 | 発射速度 | 発射形式 | 製造国 |
615(831)mm | 3.3kg | 7.62mm×25 | 35 | 700発/分 | F | ソビエト |
1943年にソビエト赤軍が採用した短機関銃。1942年にレニングラード工廠のアレクセイ・スダエフ技師により設計されたPPS-42(Pistolet Pulemet Sudareva - 1942:スダエフ短機関銃42年式)短機関銃を改良する形で開発された。
PPSh-41短機関銃の実戦投入の成果を得た赤軍は、更に制御性・携行性・量産性の高いデザインの短機関銃を要求し、1942年に採用されたのがスダエフ技師の設計したPPS-42であった。
作動方式はシンプルなオープンボルトのストレートブローバックだが、PPSh-41よりも長いボルト後退距離を取ることで連射速度を700発/分程度まで低下させている。標準の35連マガジンは容量や寸法は近いが、PPSh-41短機関銃と共用性は無い。また、ストック?はMP40などに似た折り畳み式とされた。
当時は大祖国戦争の真っ只中であり、ソ連有数の工業都市であったレニングラードは1941年からドイツ軍によって包囲されていた。レニングラード包囲戦として知られるこの戦いにおいて、PPS-42は設計から開発、初期生産に至るまでがその包囲下で行われた。製造されたほとんどがレニングラード守備隊に供給され、実戦テストされている。プレス加工を多用する事で構造が簡略化され、使用する金属材料をPPSh-41に比べて30%削減させていたが、非常に頑丈で、兵士たちには好評であったという。レニングラード市内のセストロレックでの生産開始とレニングラード守備隊への供給が始まったのは、1942年の12月のことであったが、本格的な生産はレニングラード解放宣言*1のなされた1943年1月からであった。
PPSh-41の設計者シュパーギンも性能や携行性を向上したPPSh-2を設計したものの、生産性では及ばないものとして却下。1943年、グリップやマニュアルセーフティなどの改良を施したPPS-43が採用され生産が開始された。一方で、PPSh-41もすでに年間100万挺に及ぶ大規模な大量生産設備が整備されていたことから、並行して生産が継続された。
戦後余剰となった本銃は、中国を始めとする東側同盟諸国に供給され、中国、フィリピン、北朝鮮などでコピー生産され、一部は朝鮮戦争やベトナム戦争でも使用された。
モデル | 特徴 |
PPS-42 | 包囲下のレニングラード工廠で生産された初期型。グリップは木製 |
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PPS-43 | PPS42の改良型。最も生産数が多い。グリップは金属製 |
MP709(r) | ドイツ軍に鹵獲使用されたもの |
M/44 Tikkakoski | フィンランドでコピー生産されたもの。9mm×19仕様 |
M43/52 | ポーランドでコピー生産されたもの。木製ストック装備 |
DUX M53/M59 | 戦後スペインおよびドイツでコピー生産されたもの。9mm×19仕様 |
登場作品 | ジャンル | 使用者 | 備考 |
VIETCONG | − | − | 項目参照 |
亜人 | − | − | 項目参照 |
ヴァンパイヤー戦争 | 小説 | 九鬼 鴻三郎 | PPS42 |
キラー・トーナメント | 映画 | スレイトの手下 | ラストの銃撃戦で所持 発砲無し |
靴ずれ戦線 | − | − | 項目参照 |
コール オブ デューティ2 | − | − | 項目参照 |
サクラ大戦 | − | − | 項目参照 |
セブン・イヤーズ・イン・チベット | 映画 | 中国人民解放軍兵士 | PPS43 発砲シーンで使用 |
戦場からの脱出 | − | − | 項目参照 |
東部戦線1944 | − | − | 項目参照 |
ドールズフロントライン | − | − | 項目参照 |
ハムナプトラシリーズ | − | − | 項目参照 |
速水螺旋人の馬車馬大作戦 | − | − | 項目参照 |
ブラック・ラグーン | − | − | 項目参照 |
ポリス・ストーリー3 | − | − | 項目参照 |
ホワイトタイガー ナチス極秘戦車・宿命の砲火 | − | − | 項目参照 |
ワイルド7 | − | − | 項目参照 |
ワンスアンドフォーエバー | − | − | 項目参照 |
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