三菱銀行強盗殺人事件 †1979年(昭和54年)1月26日に起こった日本史上最悪の銀行強盗事件。『犯人射殺』にまで至った日本ではまれなケースであり、また人質の命が奪われた初の立て篭もり事件でもあった。 犯人・梅川昭美は飲み屋のバーテンやツケの取り立てなどで生計を立てていたが、三十を目前に新たに商売を立ち上げる。しかしまもなく行き詰まり、『もうお袋を心配させたらあかん年や』と、今度は一攫千金を目論んだ。 梅川は人質に見張り、あるいは狙撃を避ける『盾』となるよう強要し、女性行員には服を脱ぐように命じるなど独裁者のように振る舞い、警察の交渉には一切応じず威嚇発砲を続けた。警察はシャッターに穴を空け梅川の姿を捉えることに成功したが、梅川に気付かれて何度も塞がれてしまう。 翌朝、27日の午前4時50分ごろ、警察は現金自動預払機の陰からはっきりと内部の様子を知ることに成功。以後、梅川の様子が逐一報告されるようになり、強行突入の体制が整い始める。 一夜明けた28日、ついに大阪府警第二機動隊零中隊機動隊(後のSATの原型となる特別狙撃班)による突入作戦を実行する事になった。突入に際し、跳弾による人質の殺傷を防ぐ為、拳銃(ニューナンブ)が使用された。 この事件の時、警察は梅川が要求した食事に睡眠薬を入れたが、味に変化が起こったので使用しなかった(実際、梅川は人質に毒見をさせていた)。これ以降、食事に睡眠薬を混ぜる事はなくなったらしい。 なお、梅川は猟銃の所持免許を持っており、凶器の散弾銃も正規の手続きで入手したものだった。殺人歴のある梅川に銃の所持を許したことについては、警察も批判を受けることとなった。 また、後にこの事件をモチーフとしたセミドキュメント映画『TATTOO[刺青]あり』が制作・公開されている。タイトルの『TATTOOあり』とは、検死の際、梅川の肩に刺青があることを確認した検死官の言葉からとったものである。 最新の10件を表示しています。 コメントページを参照
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