全長 | 銃身長 | 重量 | 口径 | 装弾数 | 発射形式 | 製造国 |
1105mm | 577mm | 4.18kg | 7mm×57 Mauser | 8/10/20/30/100 | S | スイス |
モンドラゴンM1908はメキシコのマニュエル・モンドラゴン将軍によって19世紀末に設計され、スイスのシグ社によって生産された自動小銃である。
メキシコ近代化の父、ポルフィリオ・ディアス大統領により、『メキシコ人として世界のどの国よりも早く立射・連射が可能な小銃を設計せよ』との命を受けたモンドラゴン将軍は、ストレートプル・ボルトアクション式の連発銃、M1893を完成させる。モンドラゴン将軍はその後も開発を続け、1904年にはアメリカに「小火器(Firearm)」の設計を出願。1907年にこの特許を取得した。口径は最終的にメキシコ軍制式の7mm×57モーゼル弾へと改められた。そして1908年、メキシコ政府はこの新型小火器「1908年型モンドラゴン式ポルフィリオ・ディアス小銃」4000挺の生産をシグ社に依頼した。
M1908の作動方式はロングストローク-ガス圧利用方式で閉鎖機構は回転ボルト方式。発射方式はセミオートのみである。マガジンは固定式で、5連クリップ×2により10発を装填する*1。これは後に普及した自動小銃でもよく見られる機構だったが、本銃の特徴的な点として、ガスブロックのレバーで作動ガスをカットし、さらにガスピストンとボルトキャリアを連結するラッチを解除する事によって*2、試作モデルのモンドラゴンM1900と同様にストレートプル・ボルトアクション小銃としても動作することができた。
しかし、M1908の生産がスタートしたころメキシコでは政情不安が進行し、1910年にはメキシコ革命が勃発。1911年、政権を追われたポルフィリオ・ディアス大統領はフランスへ亡命。M1908は最終的に約1000挺が納入されたものの信頼性に難があり、新政府により残りの発注はキャンセルされてしまった。
シグ社では依頼の残り約3000挺が完成していたが、メキシコ政府転覆の報せを受けると、これらを近隣諸国へと売り込んだ。ドイツ帝国はこの新小銃に興味を示し、この在庫を購入した。
複雑な機構ゆえ、塹壕戦では土と砂によりすぐに故障したが、砂塵を気にする必要のない空でならばと、自国で開発した30連ドラムマガジンと共に「Fliegerselbstlader Karabiner 1915(1915年式航空兵向け自動装填式騎兵銃)」の名称で、航空機パイロットの自衛火器*3として配備された。
しかしそれでも信頼性は従来の小銃に比べて劣り、1916年にはモーゼルM1916自動小銃に代替されている。生産国スイスにおいても7.5mm×55スイス弾に口径を変更したモデルが同様の役割に使用されたが、第一次世界大戦が終わると、世界各国の関心は塹壕戦において多大な戦果を挙げたより大火力の機関銃へと移っており、この小銃が追加生産される事はなかった。
数奇な運命を辿ったM1908小銃であったが、この銃の国産化の動きを発端としてメキシコの銃器製造技術の下地が形成され、1933年には完全国産のメンドーザRM2軽機関銃を完成させて量産させるなど、メキシコの銃器史の中では重要な役目を担った銃でもある。
なお開発者のモンドラゴン将軍はメキシコ革命後、新政府への反対運動を支持して成功させたものの、陰謀によりスペインへ追放された。彼の心中がどのようなものであったかは定かでないが、フランスからはその功績を讃え、レジオン・ド・ヌール勲章が贈られている。
登場作品 | ジャンル | 使用者 | 備考 |
ジオブリーダーズ | − | − | 項目参照 |
ドールズフロントライン | − | − | 項目参照 |
バトルフィールド 1 | − | − | 項目参照 |
幼女戦記 | アニメ | ターニャ・デグレチャフ ヴィクトーリヤ・イヴァーノヴナ・セレブリャコーフ 帝国軍航空魔導師 | 20発マガジン仕様 銃剣装着 |
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