モデル | 全長 | 銃身長 | 重量 | 口径 | 装弾数 | 連射速度 | 発射形式 | 製造国 |
Mle1915 | 1,170mm | 450mm | 9.5kg | 8mm×50R Lebel/7.92mm×57/7.65mm×53 | 20 | 240発/分 | S/F | フランス |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
Mle1918 | 1,170mm | 450mm | 9.5kg | .30-06 | 16 |
Fusil Mitrailleur(仏:自動小銃) Modèle1915は、1903年に始まったフランス軍主導の自動火器開発計画の一環で、ルイ・ショーシャ大佐、シャルル・シュテール兵器工、グラディエートル社のポール・リベイロールスらによって1907年に開発された。重く嵩張る三脚やチーム運用を必要としない機関銃として開発された、黎明期の軽機関銃の一つである。CSRGの呼称は、彼ら設計陣と開発会社から取られた「ショーシャ・ステール・リベイロールス・グラディエートル」の頭文字だが、主設計者である「ショーシャ(Chauchat)」の名で呼ばれることが多い。
生産開始は第一次世界大戦勃発後の1915年からで、1916年よりフランス軍歩兵の標準装備となった。製造には先述のグラディエートル社のほか、1917年からは同国のSIDARME社も携わった。ポーランド、ベルギーを始めとしてロシアやルーマニア、セルビア、ギリシア、イタリア、アメリカなど諸外国へも輸出された。フランス軍では1920年代からMle1924/29に後継を託したが、第二次世界大戦でも限定的に投入された。1922年の生産終了までの総生産数はおよそ262,000挺にのぼった。
撃発はオープンボルト、作動方式はロングリコイルで、発砲のマズルブラストによって作動を補助する仕組みだった。設計はジョン・M・ブローニングの製作したレミントン・モデル8自動小銃とそのパテントが元になっている。大量生産のため構造は簡素化が努められた。レシーバーはプレススチール製でシンプルな筒形に形成され、銃身はルベルライフルのものが銃口側から切り詰め加工されて使用された。アイアンサイトは左側に寄せられている。マガジンはシングルカラムの20連発だが、半月状の大きなもので、右側面に大きな窓があけられていた。
弾薬は、フランスの主力小銃弾であった8mm×50Rルベル弾を使用し、ポーランド軍仕様が7.92mm×57マウザー弾、ベルギー軍仕様が7.65mm×53アルゼンチン(ベルジャン・マウザー)弾、アメリカ外征軍のM1918が.30-06弾を使用した。
ショーシャは多くの欠陥による扱いの難しさに定評がある。ショーシャの半月型マガジンはバネが弱く、側面の開口部からオイルを差すことが必須であったため、ここから砂や泥が容易に侵入することから、野戦での使用には常に注意が必要だった。反動は大きく、後方へ長く伸びたレシーバーとロングリコイルによって発砲のたびに突き出す機関部を避けるように保持しなければならず、正確な照準が困難だった。フルオートで連射し続けると過熱した銃身冷却フィンが膨張し作動が阻害されることから、間欠的なバースト射撃を行うよう指導された。マガジンの開口部を廃止したり、ダストカバーを追加するなど対策も少なからず行われたが、本格的に対策が始まったのは1917年以降だったため、当初の活躍の場であった第一次大戦においては大きく改善されることは無かった。
しかし多々問題こそあったが、第一次大戦当時、大多数の国では携行が容易なフルオート火器はほとんどなかったため、Mle1915系列はフランスはじめヨーロッパ諸邦で重用され第一次世界大戦のほかギリシャ=トルコ戦争、ポーランド=ソビエト戦争、冬戦争・継続戦争などで使用された。
登場作品 | ジャンル | 使用者 | 備考 |
靴ずれ戦線 | − | − | 項目参照 |
鋼の錬金術師 | − | − | 項目参照 |
バトルフィールド 1 | − | − | 項目参照 |
バトルフィールド V | − | − | 項目参照 |
ファイブ・デイズ・ウォー | 映画 | セペグリア | 補充兵に「役に立たない」と説明する*1 |
クロトシンスキー | − | ||
ロング・エンゲージメント | − | − | 項目参照 |
最新の10件を表示しています。 コメントページを参照