1980年代に中国の華東工業院(現、南京理工大学)で開発された35mm後継の携行自動擲弾発射器。発射機は陆家鹏教授、弾薬は在骐教授が開発チームを主導していた。
発射機の製造は国営9656廠(湖南資江機器廠)、光学照準器の製造は国営5618廠(湖南華南光学機器廠)が担当した。
1980年代の中国軍は、コピーしたソ連のAGS-17を参考にした自動擲弾発射機を要求すると共に、それを歩兵1人が携行可能である事を求めた。これは当時の中国軍における自動車化が途上であった事や、仮想敵であるインドやベトナムとの国境が山岳や森林地帯である為に車両の通行が困難である為に、重装備の輸送に車両を頼り切れないという事情があった。
この要求により設計されたQLZ-87は当時の中国にありがちな事ではあるが、それぞれの要素を他国製の銃器から模倣して組み合わせる事により完成している。動作方式はベトナム戦争で鹵獲したM16のガス直噴方式、閉鎖方式は他の工廠でライセンス生産していた53式軽機槍や56式班用機槍などで採用されていたフラップ閉鎖方式、ドラムマガジンは81式班用機槍のドラムマガジンを元にしているがこれは大元を辿ればトンプソンにまで遡る。弾薬はAGS-17を模倣している模様。
こうして完成したQLZ-87は中国軍に採用され、火力分隊では携行擲弾発射機としてバイポッドを使用しての伏射のみならず立射でも射撃可能な擲弾発射機として、中隊や大隊では三脚架や車両の銃架に据えて自動擲弾発射機として、幅広く運用される事となった。
しかし、歩兵1人でも携行可能な重量に抑えるべく、反動を抑える為に威力と射程が犠牲となっている事は中国軍としても評価が分かれる所であった他、発射機左側面から斜め下向きに伸びたグリップが伏射では身長175mm以上でないと構え辛い、装填状態の15発ドラムマガジンが余りにも重すぎて脱落しやすい、携行擲弾発射機としてなら装弾数は6発でも十二分に足りる、光学照準器の脱着に工具と時間を要する為に即応性に欠けるといった欠点があった。
とはいえ、動作信頼性に関しては6発ドラムマガジンで運用する限りは特に問題無かったらしく、M16とDPの良い所取りした事による良好な整備性、破甲弾(HEAT弾)を用いれば最大80mm厚の装甲を貫通可能などと使い勝手は悪くないようだ。
このため、自動擲弾筒としての後継には給弾方式にベルトリンク給弾を採用したQLZ-04自動擲弾発射機が、携行半自動擲弾筒としての後継には新たに装弾数4発のドラムマガジンと共にQLU-11狙撃擲弾発射機が採用された現代においても、枝分かれした後継のどちらの役割も1つでそれなりにこなせる、文字通り"良く言えば多才、悪く言えば器用貧乏"な擲弾発射機として現役であり、この特性は携行出来る装備に制約の強い海軍陸戦隊では得難いようで運用例がしばしば見られる。
一方、陸軍の一般部隊での配備もまだまだ確認されている他、第75集団軍では4輪駆動軽装甲車"猛士"にRWSとして運用しているのが確認されており、余剰兵器を利用した実証実験であるのか詳細は不明であるが、しばらく現役であり続けるようだ。
また海外に目を向けるとソマリアやイランなど中東やアフリカの各国へ輸出されている他、スーダンではライセンス生産も行われており、こちらでも携行擲弾発射機から車載擲弾発射機まで幅広い運用を見せている。
なお現在、製造元である湖南省資江機器有限責任公司は公式サイトにおいてQLZ-87を警察用装備として紹介しているが、これが発煙弾や催涙弾の運用を想定しているのか、はたまた何かの誤植であるのかは不明である。
登場作品 | ジャンル | 使用者 | 備考 |
ウルフ・オブ・ウォー | − | − | 項目参照 |
バトルフィールド 3 | − | − | 項目参照 |
バトルフィールド バッドカンパニー | − | − | 項目参照 |
ファークライ4 | ゲーム | − | GL-A87 装弾数8発 |
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