近代特殊部隊の祖と云われるイギリス陸軍所属の特殊作戦部隊。正式名称は第22SAS連隊。
始まりとなったのは第二次大戦中の北アフリカ戦線で行われた特殊任務であり、当時、ロンメル将軍率いるドイツ軍の猛攻に劣勢だったイギリス軍は、敵の進撃を遅らせようと少数の精鋭兵士を敵陣深く進入させ敵を攪乱させる手に出た。これが一定の効果を示した事でイギリス軍は少数精鋭の兵による攪乱作戦の有効性を見出し戦後になって専門のチームを結成する。これがSASである。
そのSASの性質が変わってゆくのは1960年代、独立問題でテロが続く北アイルランドに、イギリスはSASの派遣を決定。SASは北アイルランドのテロ組織(IRA)を「抑制」するのではなく「鎮圧」する方針を取り、テロリストを片っ端から射殺し始める。そして報復に出るIRA、報復の報復を行うSAS、報復の報復の報復を行うIRA……こうしてSASは血みどろの抗争に手を染めてゆく。幸か不幸かその抗争の結果、多大な犠牲を払いながらもSASは抗テロ技術を実地で得てゆき、いつしか抗テロの第一人者な組織として世界に知られる事となる。なお、それとは別に本来の後方攪乱作戦も継続して行われており、1990年の湾岸戦争ではイラクの長距離ミサイル破壊のためSASがイラク国内に派遣されている。
なお、カナダやオーストラリアなど、もともとは英国連邦に属していた国家にもSASは存在しており、各国家間での人的交流も行われているという(これらの国々にあるSASは、“SASR”という名前で存在しており、装備や規模、その他全てにおいて本家のSASと互角である)。
必要なら要人警護任務をこなすこともあるようで、イラクを訪問したチャールズ皇太子の身辺警護に明らかに一般的なイギリス兵とは異なる装備をした兵士の姿が確認されているが、一説によるとこの兵士が皇太子護衛任務に就いているSASの隊員ではないかと言われている。
語学力にも長けているようで、第2言語として作戦対象国の言葉を習得し、日常会話程度ならば無難に行えるように語学教育もあるらしく、実際にスペイン語を話す隊員もいるようだ。ただ、難解言語が多いと言われているアジア圏の言語取得者は少ないようだ。
尚、このSASをモデルにしたのが、アメリカ政府が自国の誇りを賭けるだけの存在として、そして完全な秘密戦闘部隊としているのが、かのデルタフォース。それ以外にもKSK(ドイツ陸軍特殊部隊)や香港警察の特殊部隊にも強い影響を与えたらしく、陸上自衛隊が結成した特殊作戦群も当初、このSASの訓練方式を参考にしようとしたが、あまりに過酷であったせいか、訓練の方式をグリーンベレーに転向したとか、していないとか。
隊のモットーは『Who Dares Wins(危険を冒す者が勝利する)』
【SASの関与した事件その1:ガンビアでのクーデター】
1981年7月30日ガンビア大統領ジャワラ氏がチャールズ皇太子と故ダイアナ妃の結婚式出席の為ロンドンに滞在中キューバ、リビアの支援を受けたガンビア社会主義革命党(約500名+寝返った国家憲兵隊約300名)が首都バンジュールと空港の制圧を目標に反乱を決行。反乱の報告を受け英国政府は秘密裏に22SAS副連隊長クルック少佐ほか1名を派遣。2人がガンビア入りした時すでにセネガル軍空挺部隊(エンゴン中佐指揮)の支援をうけたガンビア軍は空港と首都の一部を反乱軍から奪還していたが大統領夫人と4人の子供は反乱軍にとらわれたままであった。
少佐は英国高等弁務官事務所にて反乱軍が夫人と子供を診療所に連れて行ったとの情報を得る。彼は部下(たった1人だけど)と診療所に向かうと診療所の入口に反乱軍兵士2名が配置されていた。少佐は自ら囮になり反乱軍兵士の気を引きその隙に部下が背後から接近SMGを突きつけて入口の2名を捕虜にすると彼は捕虜を部下に任せ診療所に入り夫人と子供を救出、反乱軍兵士(丸腰だった)を捕虜にした。少佐は夫人と子供を高等弁務官事務所に送り届けると捕虜をエンゴン中佐に引き渡した。
その後少佐はひっそりと英国に帰国SASのこの件への関与は永遠に秘密にされるはずだったのだがセネガル軍将校が後日マスコミのインタビューで事の次第を喋ってしまう。しかしいつもと同じで英国政府は沈黙を守ったままである。
【SASの関与した事件その2:ピーターヘッド刑務所】
1987年9月27日スコットランドのピーターヘッド刑務所Dブロックにて暴動が発生。このDブロックの48名の囚人はほとんどが殺人やレイプ等の凶悪犯で長期刑に服していた。大部分の囚人は短時間で制圧されたが5人の強硬派は看守を人質に降伏を拒否し立て篭もってしまった。これに対し警察は対応チームを編成、政府はSASにこの件に関する警察への支援を命じた。状況を検討した結果、事態解決の方法は突入しかなく突入部隊はSASを動員する事が決定。
10月3日朝、暴徒が空けた天井の穴から警棒(5人の暴徒囚人は銃を持っていなかった為SASの武装は警棒だった)を持ったSAS隊員が進入、スタングレネードと催涙ガスを囚人達が立て篭もっていたフロアに投げ込むと同時に、支援チームが階下の壁を爆破して突入口を開け別のSAS隊員が突入、人質全員を救出し囚人全員(たぶんSAS隊員達にボコられたはず)を拘束した。
【SASの関与した事件その3:イラン大使館占拠事件】
独立ページ参照。
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