全長 | 重量 | 口径 | 装弾数 | 発射形式 | 製造国 |
1,165mm | 4.31kg | .30-06 7×57mm マウザー | 10 | S | アメリカ |
アメリカの元海兵隊大尉の大学教授、マーヴィン・C・ジョンソンによって1938年中頃に開発された軍用自動小銃。ショートリコイルによる作動や、回転閉鎖式ボルトとの組み合わせなど、歩兵用ライフルとしては珍しい機構を採用している。
レシーバー下にはこれまた珍しいロータリー・マガジンを内蔵しており、装弾数10発と当時としてはハイキャパシティを誇った。当時の代表的自動小銃だったガーランド小銃が、クリップ(挿弾子)ごと装弾する構造ゆえ、撃ち切らないと再装填もままならなかったのと違い、ジョンソン自動小銃はいつでも弾薬を補充できたうえ、ボルトを閉じたままでも装填が可能だった。また装填には、既存のM1903?用の5連発ストリッパー・クリップが使用できた。
ジョンソン小銃は開発者自身の手で、アメリカ陸軍に新型主力小銃として売り込まれたが、銃剣を取りつけたときの信頼性が確保できないとして、却下されてしまった。そもそも、銃身がレシーバーに固定されず発砲時に後座するショートリコイルは、銃剣の装着には向かない構造だった。銃剣をつければ、重みで銃身が後座不良を起こすうえ、銃剣戦闘を行おうものなら、刺突の衝撃で銃身が後座してボルトのロックが解除されてしまうか、最悪銃身が破損する可能性もあったためだ。
この問題の解決のため、軽量な専用のスパイク銃剣が用意されたが、ボルトのロックが解除される欠点は解決できなかった。
ジョンソン氏は、本銃の軽機関銃バージョンも開発しており、本銃と合わせて採用すれば、訓練の手間を省略できると売り込んだ。しかし当時、米陸軍はすでに配備していたBARの性能に満足しており、ジョンソンの提案には全く乗り気でなかった。
そもそも陸軍はすでに、ガーランド小銃の制式配備を始めたばかりで、ガーランドを改めて却下するのも、複数の主力自動小銃を混在させる気も無かった。BARの製造元のブローニング・アームズ社からの相当なロビー活動もあって、米陸軍はジョンソンの小銃はもちろん、軽機関銃も採用しなかった。
ジョンソン氏は諦めることなく、陸軍の次に同国海兵隊のトライアルへも本銃を提出した。元海兵隊員による銃ということもあってか、当初は好評を得ていたが、結局、後に提出されたガーランド小銃が、海兵隊でも主力小銃として採用されてしまった。
販路を閉ざされてしまったかに思えたが、当時日本の侵攻に備え、王立東インド軍の増強に奔走していたオランダ亡命政府の目に留まり、「M1941」の名称で70,000挺の発注を得ることに成功した。しかし運の悪いことに東インド軍は本銃をほとんど手にすることなく、早々に日本軍に降伏してしまい、ジョンソン氏は完成済みの30,000挺を在庫として抱える羽目になってしまった。
しかし今度は、その在庫を未だにガーランド小銃を手にしていなかった、新設の海兵隊空挺部隊が目をつけ、在庫を一時引き取ることになった。
本銃はガーランド小銃と比較して、弾薬の補充が途中でできることのほか、リコイルも30%ほど少なく、命中精度も高かったことから、現場の海兵隊員には概ね好意的に評価された。容易に銃身を分解・結合できる点も、空挺部隊からは評価された。しかし細かい部品が多いうえ、予備部品の補充が少なく、メンテナンスに問題が多かったことには閉口していたようである。
在庫の一部はOSS(戦略諜報局)にも流れ、ヨーロッパのレジスタンス支援のために、空挺投下もされた。
戦後、残存していたジョンソン自動小銃はオランダに返却されたが、OSSに流れた在庫の一部は倉庫に眠り続けていたようで、1961年キューバのピッグス湾事件で、キューバ亡命人からなる2506旅団に投入されたりもした。
口径バリエーションとして、7×57mm マウザーがある。これは1943年にチリの騎兵隊向けに発注された1,000挺のみだけであった。
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