1996年にその存在が公にされた、警察庁の対テロ専門特殊部隊。「サット」と発音される。
きっかけは、1977年に起きた日本赤軍によるダッカ事件にまで遡る。テロ対策に関して、当時の日本政府は全くの無知であり、政府が決定した超法規的措置で容疑者の要求を丸呑みにしたことが原因で、日本は、欧米諸国から『テロリスト輸出国家』と名指しで批難されるという屈辱を味わった。
この汚名返上を図るため、警察庁と大阪府警は異例とも言える速さで、機動隊の内部にSAP(Special Armed Police:特殊武装警察)という、対テロ専門の特殊部隊を極秘裏に設置した。(大阪府警では「零(ゼロ)中隊」、警視庁では通称「特科中隊」と呼ばれ、1980年代初頭から警察庁部隊はSAPと呼ばれるようになる)
数回の出動を経験したのち(1979年の三菱銀行強盗殺人事件、1992年の町田民家立て籠もり事件、1995年の山梨県上九一色村のオウム真理教本部強制捜査)、1995年の函館空港ハイジャック事件?で初めてその存在が明らかとなる。その翌年、今後も増大するであろうテロ事件に対応する目的で、主要6県警にも部隊の増設が決定され、正規の特殊部隊となったのがこのSAT(警視庁特殊急襲部隊)である。現在の隊員の総数は確認できているだけでも約300名。
現在は全国12都道府県の警察本部に配備され、ハイジャック事件やSIT(捜査一課特殊班)では対処の難しい事案に対処することになっているが、2005年の8月下旬には新たに沖縄県警にもSATが20人体制で設置されたことは記憶に新しく、また札幌で行われた大規模な対テロ訓練においては、自衛隊員に混じって、表向きは機動隊の銃器対策部隊としてSATが訓練に参加していることが確認されている。
つい最近までは、その存在事体が警察内部でも極秘扱いとされてきた(事実、SAT所属隊員は機動隊配属とされていた)。その装備体系や訓練方式は、かつてダッカ事件に類似したルフトハンザ機ハイジャック事件で日本とは真逆の対応を取りその勇名を馳せたGSG9を参考しているが、訓練そのものはアメリカのSWATやHRT(アメリカ連邦捜査局・人質奪還部隊)との共同訓練を通じての実力養成を図ることを第一義としていたらしい。
ところが、それが結果的に上手く行かなかったようで、現在は設立時に参考にしたGSG9やGIGNといった、ヨーロッパの名だたる名門対テロ部隊との共同訓練や人員交換をすることの方が多いようだ(装備からしてもかなりヨーロッパ的である)。
また過去に、オーストラリアのパースに所在する大規模な市街戦・屋内戦用の訓練施設(通称キリングヴィレッジ)で訓練を行ったと言われている。
警察庁が公開した訓練の映像が、民放各社を通じて全国放送されたことで話題となった部隊だが、今もなお、その全容は謎に包まれており、とにかく秘密の多い部隊ではある。(入隊すると隊員は、「部隊で見たり聞いたりしたことを他人に話せば、時には法で罰せられる。家族に対しても同様である。」という訓示を受け、保秘を徹底させられると言われている。事実、愛知立てこもり事件においてSAT隊員が死亡した際、隊員の両親は「死亡するまで、息子がSAT隊員であることを知らなかった」と報道されている。)
ただ、内部の情報がそれなりに開示されており、以前では知り得ることが不可能に近かった隊員個人の装備や訓練の内容が明らかになることも多くなり、国民に部隊の存在そのものも確実に認知され、浸透しているようだ。
アメリカのSWATやドイツのGSG9、SEK、イギリスのSASなどと比べれば、その出動回数は非常に少なく、出動してもオブザーバー的立場であることが多いので、部隊の実力は如何ばかりかと疑問に思える。しかし、実際に部隊の練度を調べたある国の対テロ部隊広報担当者曰く、「士気も高く、装備も隊員の素質も充分である」とのこと。だがメディア作品での扱いは「敵にあっさり殲滅される」というパターンが多い。
なお、2007年5月に発生した愛知県立て篭もり事件で、出動したSAT隊員が犯人に撃たれ死亡する事態が起きた。SATの存在が公になってから10年以上経つが、隊員に犠牲者が出たのは事件が初めてである。(この事を受け、警察庁は同年6月、SAT支援チーム「SSS」(SAT・サポート・スタッフの略称、スリーエスと呼称)を発足させた。)
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