全長 | 銃身長 | 重量 | 口径 | 装弾数 | 連射速度 | 発射形式 | 製造国 |
1,109mm | 500mm | 9.3kg | 7.62mm×53R | 20/75+1 | 450〜550発/分 | S/F | フィンランド |
M1926(M/26)軽機関銃は、フィンランド軍の技術将校アイモ・ヨハンネス・ラハティとアルヴォ・E・サロランタ中尉が1925年に開発したマガジン式軽機関銃である。開発者二人の名をとって“ラハティ・サロランタ M1926(LS/26)”と呼称することが多い。製造はフィンランドのVKT(共和国銃器工廠)で行われ、フィンランド軍に制式採用された。
M/26の作動方式はショートリコイル式である。連射速度はあまり高くないが、重い本体重量などの関係で反動は低く、精度は高かった。パーツ数の多い機構だったため動作不良が多かったようだが、適切な注油さえすれば非常に快適な動作を見せたとも言われている。ちなみにセレクティブファイアである。
使用する弾薬は7.62mm×53R弾*1で、これを箱型の20連マガジンに装填して使用する。また、75連のドラムマガジンも対空射撃用に用意された。このドラムマガジンはいわゆるフラットパンタイプで、装着した際はDP軽機関銃をひっくり返したようなフォルムになる。
銃身は迅速な交換が可能とされており、理論上は8秒ほどで交換できるとされている。もっとも、実際にやってみた者の言うところによると25〜30秒ほどはかかったという。その予備銃身はトング、プライヤー、潤滑油、ドライバー、ボルト、マンドレルなどの周辺機器と共に筒型のホルスターにまとめて持ち運びされた。皮製の専用マガジンケースも用意されており、1つにつき20連マガジンを5個入れることが出来た。
1922年頃、フィンランド軍はアイモ・ラハティに新型軽機関銃の開発を依頼した。当時ラハティはM/22(スオミM1931の試作銃)を開発したばかりだったが、早速開発に着手。1923年までには全体像ができあがり、1924年10月にはフィンランド軍により次期制式軽機関銃になることを見越したトライアルが開かれることが決定される。ラハティはこのトライアルのために試作銃を作成することとなったのだが、この際にデンマークで自動火器開発を学んだA・E・サロランタ中尉が技術的助手として彼の元に送られ、以降は2人で設計にあたることとなった。こうして製作された試作銃は使用弾薬こそ7.92mmだったものの、機構の面ではほとんど後の量産型と変わらないものが完成していた。トライアルではアメリカやイギリス等からの機関銃と比較されたが、最終的には合格。1925年にM/26としてフィンランド軍で制式採用されることとなる。生産は1927年から1942年まで行われ、およそ5000丁程度が生産された。
フィンランド軍においてM/26は射撃長、小銃手、装填手、弾薬運搬手4人の計7名で運用されることになっていた。しかし、それはマニュアル上での話。兵士不足のため、実際は射撃手と弾薬手の2人で運用することがほとんどであった。弾薬も二人で先述の皮製ケース3つ分を持ち運ぶという重労働で、薬莢も回収することになっていたため、M/26の運用手は非常に負担が多かった。こういった運用上の制約もさることながら、M/26自体の問題も取りざたされることになる。装弾数が少なく、そのわりに重い重量(未装填で9.3kg)は兵士にはさらなる負担になったし、パーツの多い機構は脆く、潤滑油も手に入らないような戦場では給弾不良を頻発させた。兵士達からは“Kootut virheet(間違いの詰め合わせ)”などと揶揄され、冬戦争や継続戦争においてはスオミM1931やソ連軍から鹵獲されたDP28などに押されてM/26は後方送りになってしまったという。*2その後、M/26は主に訓練用に用いられ、1985年にはそのほとんどが破棄された。しかし、今でも数丁がフィンランド軍に保管されている。
短期間で生産が終わり、ほとんど国内だけで消費されたM/26だったが、中華民国から7.92mm弾仕様を30,000丁受注したことがある。結局引き渡されたのは1,200丁ほどであったが、それでも一応あるものは使われたらしく、日中戦争にもこの7.92mmモデルは参加したとされている。
登場作品 | ジャンル | 使用者 | 備考 |
Endless War 4 | ゲーム | フィンランド軍兵士 | 海外のブラウザゲーム |
ウィンター・ウォー 厳寒の攻防戦 | − | − | 項目参照 |
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