*ユージン・モリスン・ストーナー&br;Eugene Morrison Stoner (1922〜1997) [#ef7115ee]

 アメリカの象徴ともいえる突撃銃、[[M16>コルト AR15]]の父。
 ハイスクール卒業後、航空機会社に就職し航空機用火器の整備を学び、第2次大戦中は海兵隊に入隊し太平洋戦線を転戦した。戦後、航空機会社フェアチャイルドの銃器開発部門アーマライトの技術者となり、スポーツライフルの開発を次々と行う。そして1955年に原点とも云うべき[[AR10>アーマライト AR10]]を開発し、その数年後にAR10のミニチュアモデルであるAR15を開発。これがアメリカ軍にM16の名前で採用された。
 その後、AR15の製造権が[[コルト]]に売却された事が原因か、1960年代初頭にアーマライトを退社。キャデラック・ゲージ社に招かれ、パーツの交換で[[小銃]]、[[機関銃]]に変化する[[ストーナー M63>CG M63]]を開発している。その後は、様々な銃器開発会社を転々とした後、晩年は愛弟子のリード・ナイツと共にナイツ・アーマメント社を設立しM16をベースにした銃の設計に携わったが、その完成を見ることもなく1997年に癌でその生涯を閉じた。

 彼の死後、ナイツ社社長であるリード・ナイツは意気消沈し、会社を売り払って引退するつもりであったが、しかし思い直し、亡き師に捧げる一大プロジェクトを起こす。そのプロジェクトこそが晩年にストーナー氏が携わっていた[[ナイツ SR-16]]などのSR(ストーナーライフル)シリーズである。

 ハイスクール卒業後、航空機会社に就職し航空機用火器の整備を学び、第2次大戦中は海兵隊に入隊し太平洋戦線を転戦した。戦後、航空機会社フェアチャイルドの銃器開発部門アーマライトの技術者となり、スポーツライフルの開発を次々と行う。そして1955年に原点とも云うべき[[AR10>アーマライト AR10]]を開発し、その数年後にAR10の小口径モデルであるAR15を開発。これがアメリカ軍にM16の名前で採用された。
 AR15の製造権が[[コルト]]に売却された後は、より優れた設計を試行錯誤しAR16やAR18を設計するが、AR15に勝るものではないと悟ったストーナー氏は、1961年にアーマライトを退社。AR15の研究に携わる為のコルトの技術コンサルタントになろうと考えていたが、最終的によりよいアイデアを実現するため、キャデラック・ゲージ社の協力でアーマライト社の2人の同僚を獲得。共に同社で新しいモジュラー小銃システムの開発を行った。そこで完成したのが、パーツの交換で[[小銃]]、[[機関銃]]に変化する[[ストーナー M63>CG M63]]である。
 しかしその後も彼は開発環境に満足せず、1972年にはアレス社を共同設立。ストーナー63とAR15の合いの子とも言えるアレスLMGを設計したが、これにも満足することなく1989年に退社。最終的に、彼は彼の熱狂的な「ファン」であるリード・ナイト氏の所有する[[ナイツ・アーマメント>ナイツ・アーマメント・カンパニー]]社に参加。[[SR-25>ナイツ SR-25]]などの優れた銃火器を多く開発。1997年に癌でその生涯を閉じた。
 
 東西冷戦の最中に超軍事大国の制式小銃を作り上げた、[[ミハイル・カラシニコフ>ミハイル・ティモフェビッチ・カラシニコフ]]氏とはたびたび比較される。特にカラシニコフ氏と違い、彼は資本主義経済の中でパテント料によって莫大な富を得、自らの望むままに自由な生活を送った点は大きく異なるだろう。
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