*ジョンソン M1941自動小銃 / Johnson M1941 semiautomatic rifle 【自動小銃】
#ref(jonm1941.gif,center,nolink,Johnson rifle)
|全長|重量|口径|装弾数|発射形式|製造国|h
|1,165mm|4.31kg|.30-06 / 7x57mm マウザー|10|S|アメリカ|


 アメリカの元海兵隊大尉の大学教授、マーヴィン・C・ジョンソンによって1938年中頃に開発された、軍用銃としては珍しく[[ショートリコイル]]で作動する、回転閉鎖式の[[セミオートマチック>セミオート]]・ライフル。
 レシーバーにロータリー・マガジンを内蔵しており、右側のバネ仕掛けのカバーが付いた装填口から、計10発の弾薬を装填できた。装填にはM1903用の5連発ストリッパー・クリップ(挿弾子)を補助に利用することができた。当時のセミオートマチック・ライフルの代表格である[[ガーランド小銃>スプリングフィールド M1]]と違い、途中からでも弾薬を補充できたうえ、ボルトを閉じたままの状態でも弾薬を補充できる特長を持っていた。
 他にも本銃のコンポーネントを利用した、軽機関銃もファミリーとして用意されていた。

 ジョンソン自動小銃は、当初はアメリカ陸軍のトライアルに提出されたが、[[銃剣]]を取りつけたときの信頼性が確保できないとして、却下されてしまった。
 本銃はショートリコイルという動作方式のため、銃剣を取り付けると銃身が重くなりすぎてしまい、射撃時に後座不良を起こしやすくなるうえ、何かに銃剣を突き立てると銃身が強制的に後座するため、ボルトのロックが解除されてしまうおそれがあった。また、しっかりと固定されてない銃身は、格闘戦で曲がってしまう可能性もあった。
 この問題の解決のため、重量の軽い専用のスパイク銃剣が用意されたが、ボルトのロックが解除される欠点は解決できなかった。
 ファミリーの軽機関銃は、本銃と合わせることによって訓練の手間を省略できるとされていたが、陸軍はすでに配備されていた[[M1918 BAR>US M1918]]を気に入っていた上、製造元のブローニング・アームズ社からも、相当強い採用反対のロビー活動があったため、陸軍には小銃と機関銃のファミリー化は全く魅了的に映らなかった。
 ジョンソン氏は諦めることなく、陸軍の次に海兵隊のトライアルへも本銃を提出した。元海兵隊員による銃ということもあってか、当初は好評を得ていたが、後にトライアルに提出されたガーランド小銃に対して、最終的にはコンペ負けしてしまった。

 販路を閉ざされてしまったかに思えたが、当時日本の侵攻に備え、王立東インド軍の増強に奔走していたオランダ亡命政府の目に留まり、「M1941」の名称で70,000挺の発注を得ることに成功した。しかし運の悪いことに東インド軍は本銃をほとんど手にすることなく、早々に日本軍に降伏してしまい、ジョンソン氏は完成済みの30,000挺を在庫として抱える羽目になってしまった。
 しかし今度は、その在庫を未だにガーランド小銃を手にしていなかった、新設の海兵隊空挺部隊が目をつけ、在庫を一時引き取ることになった。
 本銃はガーランド小銃と比較して、弾薬の補充が途中でできることのほか、リコイルも30%ほど少なく、命中精度もより高かったことから、現場の海兵隊員には概ね好意的に評価された。容易に銃身を分解・結合できる点も、空挺部隊からは評価された。しかし細かい部品が多くて日常整備がやり難かったのと、予備部品の補充が少なかったことに関しては閉口していたようである。
 在庫の一部はOSS(戦略諜報局)にも流れ、ヨーロッパのレジスタンス支援のために、空挺投下もされた。
 戦後、残存していたジョンソン自動小銃はオランダに返却されたが、OSSに流れた在庫の一部は倉庫に眠り続けていたようで、1961年キューバのピッグス湾事件で、キューバ亡命人からなる2506旅団に投入されたりもした。
 口径バリエーションとして、7x57mm マウザーがある。これは1943年にチリの騎兵隊向けに発注された1,000挺のみだけであった。

|登場作品|ジャンル|使用者|備考|h
|[[ジオブリーダーズ]]|−|−|項目参照|
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