中央工業 九六式軽機関銃
- 誤情報を修正 -- Macchi?
- 太の奇跡 -- zero?
- すみません、間違いです。「太平洋の奇跡ーフォックスと呼ばれた男」という映画で序盤で日本兵がサイパン島、タッポーチョ山で使用、ただし一発も発砲無し。同じく序盤同じ場所で青野千恵子という女性が発砲なしですが死んだ日本兵のを持って使おうとしていました。 -- zero?
- これ、温存されたなんて書いてあるけど、結構な割合で大陸でも写真でてるし、南方では陸軍部隊の場合、ほぼ当たり前に装備していたらしいが・・・。 --
- あと、九六式の後期型は、減装弾でなく、通常の実包を撃つことができたらしいけども。 --
- 「ペリリュー島のジャンヌダルク」伝説で語られてる機関銃ってこれかな? --
- 九六式が常装弾を使えるようになったのはいつ頃からでしょうか? -- 三流陸曹?
- wikiにはブレンガンの有効射程550m、九九式軽機関銃の有効射程2,000m --
- あくまでもwiki情報 --
- 有効射程2000mとか、いくらなんでも盛りすぎ、ブレンの303ブリティッシュと99式の99式普通実包は初速、初活力ともほぼ互角(303のほうがやや上回る)、そんなに差がつくわけがない、有効と最大の取り違えだろ --
- 有効射程と最大射程 間違えてたのか --
- マジで有効射程2000mって書いてるな。何をぶっ放してたんだろうか・・・ --
- プレス加工で安価ってあるけど、実際コストは当時の額でいくらなの?。 --
- 旧軍の火器の調達価格って不明瞭な部分が多いんだよ、時代による物価変動も大きいし、一応調べた範囲だと96式は1015円、99式軽機関銃は1300円、な、高いか安いか判らんだろ?38式歩兵銃は80円、99式短小銃は100円、南部14年式が90円、 --
- 92式重機関銃が2300円、擲弾筒が230円、で96式の前の11年式軽機関銃は585円って資料がある、安くなってないじゃん、ちなみに歩兵(一等兵)に支給される俸給は月額9円だそうだ --
- ↑当時の物価は変動しすぎてわけわからん状態だから5年時間が経つだけで当時の兵器の価格が倍になってたりする。 -- 中野学校くん?
- 99式の方がファイアレート高くなかったか? --
- 実際に撃ってる動画見ると 96式より99式の方が高いね --
- 96式が毎分500発、99式が毎分700発。 --
- 戦前の為替ルートで言うと、現代の3000倍から4000倍です。96式1015円は現在で言う30万円から40万円の間くらい。 -- 惑わす惑星?
- 現行の住友製ミニミ軽機が200万ってのを考えるととんでもなく安いな。生産数が10倍くらいデカイ分の量産効果か? --
- 92式は汎用機関銃ではないんじゃないか? ちなみに日本軍はSMGの配備率が主要参戦国に比べオリジナルの一〇〇式が総生産数たった一万で殆ど空挺やコマンド配備など SMGの配備率がかなり低かったようですが代わりに軽機関銃と軽迫撃砲の配備率なんかは高かったってのは本当ですかね? --
- 書類上は非常に高いです。小隊規模での戦闘ならば、各国最強の火力ですからね。これも元々は、九六式の前に採用されていた十一年式の信頼性が低かったため、その火力を擲弾筒で補おうとしたためだとも言われています。そこからさらに九六式や九九式が配備されるわけなのですが、ご存じの通り日本は工場基盤がアメリカやドイツほど整っていなかったため、配備も遅れ、常に定数通り配備されていたのは第一線部隊や精鋭ばかりでありました。それから太平洋戦争に突入しますと、生産が損失に間に合わず、九九式の代わりに九六式が、九六式の代わりに十一年式が、それすら足りない場合は軽機の代わりに小銃が……とどんどん下がっていったので、実際の火力はそこまで差のあるものではないようです。 --
- うーん日本陸軍が当時の他の軍隊に比べて特徴的かつ優れてた所無いんですかね? 精神的な云々とかそんなの抜きで --
- これは少々この記事とはずれるのですが、上述の通り擲弾筒の配備は非常に大きな特徴で、後に米軍も参考にしたと言われます。他にも、陸戦用途の機関銃に度々スコープを用いて、狙撃や点射を基本としたことも挙げられますね。これとは別に、他国に比べ、一般兵士の小銃の命中率が高かったというのもよく耳にします。特別養成した狙撃兵などがいなかった割には、米英中共に敵の狙撃兵が〜という記事が今にも散見されます。また、兵士一人当たりが運ぶ食料、弾薬が、兵站がやや前近代的で滞ることも多かったために、他国より非常に多く携行し、米軍と比べた場合二倍から三倍であったことも特徴です。特に機関銃などの弾薬は携行量が多く、補給が寸断されても非常に継戦能力が高かったと言われます。まぁ、運ばされる兵にとっては苦痛以外の何物でもないので、三十や四十等体力が衰える頃にもなれば老兵扱いされるのはこれが所以です。末期の精神性や局所におけるバンザイ突撃などで精神論の軍隊と度々揶揄されますが、実際は砲兵はともかく、歩兵においてはかなり超火力主義的な軍隊でありました。 --
- 面白い話どうも ちなみにスコープは照準期と同じ斜め上につけるんですかねコレ --
- 九六式照準眼鏡という名なのですが、弾倉真後ろの照尺のある位置に付けます。つまり接眼側は弾倉の真後ろとなり、対物レンズはアイアンサイトとは対称に右側にセットされています。 --
- こいつがちゃんと戦中にも試作されてた汎用機関銃型として完成してくれてたら 62式なんて珍銃を長々使わされることも無かったんやろなぁ チェコのVZ57や北朝鮮の82式みたく --
- VZ52/57はさっさと置換されてるんですがそれは・・・ --
- 九九式軽機関銃の最終型が三式軽機関銃で、九二式実包や保弾板も使えるんだっけな。
保弾板からベルト給弾への改造は簡単で三年式重機でも実績あるし、これを採用しとけば自衛隊も困らなかっただろうに。九二式実包を撃つ前提の機関銃で、貧弱なNATO減装弾仕様にするんだから耐久性も命中率もかなり余裕見込まれるしな。 --
- スペック上はどうだか知らんが武装解除という概念を知らんのかねあんたは・・・ --
- 少なくとも設計図は使いまわせるし…いくらかは返してくれるしまあ… --
- というか調べると三式のノウハウを元に作られたのが62式らしいよ。まぁ現実はそんなもんだろう・・・ --
- それは違うだろ
南部製作所/新中央工業じゃなくて、海軍の航空機関砲を主に手がけた日特金属だぞ?
ノウハウなんてついでいないし、あんなんでそんなもんだとディスられたら南部先生もたまったもんじゃないよ --
- むしろ日特が継いだノウハウとか経験ってのは戦中の試製超軽機関銃だよ。
名前からしてやばい。無論、陸軍にはそっぽ向かれた。
これの気が抜けないまま、よその九九式を弄ったわけで。
てかちょくちょく見る、戦後も62式みたいなのを作ってるから旧軍銃器設計はそんなもんだった論はおかしいんだよなぁ
だって会社が違うもん
河村博士が積んだノウハウとやらで風評受けたら可哀想過ぎるだろ。
あの人は航空機関砲のノウハウだよ。九六式などの開発には一切手を触れていない --