US M1“バズーカ” / US Rocket Launcher,M1 "Bazooka" 【対戦車ロケット発射器】

M1バズーカ
モデル全長重量口径装弾数製造国
M11370mm6.8kgM6(60mm)1アメリカ
M1A11370mm5.8kgM6A1(60mm)
M91550mm7.2kgM6A3(60mm)
M9A11550mm6.5kg
 

 第二次大戦のさなかに、アメリカ軍が制式採用したロケット式の対装甲火器
 RPzB43パンツァーシュレックM72などに代表される、ロケット射出式の携行型対装甲火器の開祖的存在である。

 基となったのは、第一次大戦期に「近代ロケットの父」として知られるロバート・ゴダードが試作した物であり、独ソ戦で戦車の有効性を認識したアメリカ軍が、戦車の対抗兵器を要望。USオードナンスが前述の試作品を改良し、1942年に実用化したものが「ロケットランチャーM1」、通称『バズーカ』である。
 なおバズーカとは、その形状が当時の舞台芸人ボブ・バーンズが使用していた楽器に似ていた事から付いた愛称であり、現在ではM1および改良型であるM9、M18対戦車ロケットランチャーの愛称として使われている(日本では、アニメ作品などの影響か、肩撃ち式で大型のチューブ状の外観をした火器の総称として頻繁に使われる)。

 対戦車兵器として当時の主流だった対戦車銃が既に進化の頭打ちだった事に対して、成形炸薬(HEAT)弾とロケット式による低反動のバズーカは威力、制御性共に優れながら手軽に戦闘へ投入できる対装甲火器として威力を発揮。太平洋戦線のサイパン島では、日本戦車部隊の突入に急遽陸揚げされたバズーカで迎え撃ち、そのまま返り討ちにした逸話を持つ。
 ヨーロッパ戦線でも、ドイツ軍が鹵獲したバズーカの発射器をもとに、改良拡大型ともいえるパンツァーシュレックを開発した事や、連合軍最高司令官だったアイゼンハワー元帥が、後年、第二次大戦で勝利に貢献した四大兵器の1つに挙げた事からも、その有効性が伺い知れる(他の3つはC-47、ジープ、そして原子爆弾)。

 そのバズーカも、大戦末期になると敵重戦車に対する威力不足が囁かれ始め、後継となる大口径版(後のM20『スーパーバズーカ』)の研究開発が進められていた。しかし、既に大勢決した戦況からか、指導部は「後継の必要なし」と兵器更新を行わなかった。
 事実、更新を行わずとも大戦終結まで大した問題にならなかったが、5年後、朝鮮戦争の「烏山(オサン)の戦い」にて、アメリカ軍は重装甲のT-34-85戦車を前に、後継不採用の代価を、血で以って支払う事となる(北朝鮮軍側の戦死者が42人に対し、米軍側の戦死者は120人)。ただし、これは単に60mmバズーカ威力不足を示すものではなく、戦時中作られた弾頭が湿度の高いアジアにおいて、5年後の朝鮮戦争当時には劣化していたのではないかとする説もある。

各種バリエーション

モデル特徴
M1最初(1942年)に実戦投入されたモデル
M1A11942年末に投入されたモデル。電気点火装置が改良され、設計が簡素化・軽量化がなされた
M91943年に投入された改良モデル。光学サイトが装備され、弾薬も貫通力の向上したM6A3へ更新。発射器を2つに分けて運搬可能とした
M9A1点火方式を、バッテリー点火式から磁気点火式に変更
 
登場作品ジャンル使用者備考
ZINGY項目参照
ウインドトーカーズ項目参照
キン肉マン漫画バッファローマン「激突!殺人リング!!の巻」の扉絵で持っていた
M9A1?
コール オブ デューティ2: ビッグ レッド ワン項目参照
コール オブ デューティ3項目参照
コール オブ デューティ: ユナイテッド オフェンシブ項目参照
コール オブ デューティ: ワールド アット ウォー項目参照
サガシリーズ項目参照
バトルフィールド1942項目参照
ハムナプトラシリーズ項目参照
プライベート・ソルジャー項目参照
プライベート・ライアン項目参照
ブラザー イン アームズ項目参照
メダル オブ オナー項目参照
メタルサーガ項目参照
メタルマックス項目参照

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