モデル | 全長 | 重量 | 口径 | 装弾数 | 製造国 |
P1853 Enfield Rifle Musket | 1400mm | 4.1kg(銃剣付き) | .577 | 1 | イギリス |
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1853年に大英帝国に採用されたライフルマスケット、生産はエンフィールド造兵廠や、バーミンガムの請負業会社が行った。
1852年の8月に、異なる照準器をつけた二つのプロトタイプが生産され、同年12月に射撃が行われた。そうして1853年に採用された。
エンフィールド造兵廠は、エンフィールド銃を大量かつ迅速に生産できなかったので、バーミンガムの請負業会社に生産を注文したが、生産がかなり遅れたため、クリミア戦争の後半に投入されることになった。そのため、クリミア戦争中の大きな戦いで活躍することはなかった。
クリミア戦争では、長距離においてのその高い精度が買われ、狙撃などでも運用されたが、クリミア半島に運ばれる最中、弾薬包が緩み、戦場で火薬がこぼれたり、兵士のケアレスミスで銃が錆びたり、使用弾丸であるプリチェット弾が、基準より小さいサイズで製造され、ライフリングへの吻合が不十分になるなど、様々な問題点が露呈した。そのため、弾薬包を改良したり、使用弾丸を木製のプラグで拡張するエンフィールド弾に変更するなど、適時改良が行われた。
クリミア戦争ではあまり活躍できなかったものの、エンフィールド銃の弾薬包が原因となったインド大反乱では様々な戦いで活躍し、「武器の王様」と呼ばれた。しかしインドの気候の暑さが原因で、弾薬包に問題が発生し、装填が難しくなった。そのため、エンフィールド弾の口径が.568口径から.550口径に収縮された。これにより、装填がより楽になり、かつ弾道もより低伸なものとなった。
南北戦争では、その改良を繰り返して「完璧」となった弾薬包とエンフィールド銃はとても優秀で、スプリングフィールド銃(M1855、61、63など)や、それらの使用弾丸より優れていた。
その後は旧式銃となり、後装式のライフルであるスナイドル中に改造されたり、幕末の日本などに輸出された。