火薬などの力で擲弾(グレネード)を弾丸として発射する火器の総称。一般的に手榴弾の投擲距離と迫撃砲の最小射程距離のギャップを埋める火器として使用される。
現代では軍用の40mm口径、および暴徒鎮圧用の37mm口径が主流となっている。登場したのは37mm(1.5インチ口径)規格が先で、これは少なくとも第2次世界大戦以前に信号弾を発射するために開発された。この弾薬はその後、大量の化学物質を梱包して遠距離に飛ばせる性質に着目され、暴徒鎮圧用のガス弾として改良された。
個人携行型グレネードランチャーは、少なくとも先込め式のフリントロック式ライフルが歩兵銃として使われた時代には開発されていた。バレルの代わりに巨大なカップを設え、この中に炸薬を詰めた球形のグレネードを装填して発射するというもので、攻城戦で城壁を越えてグレネードを撃ち込むための火器だった。
開けた土地で戦う近代戦の時代となって、一旦は廃れるものの、第1次世界大戦で、空包によってより遠くへ正確に飛ばせる小銃擲弾(ライフルグレネード)が登場した。第1次大戦では、他にも様々な手法のグレネードランチャーが使われたが、歩兵銃と空包を利用する小銃擲弾が第二次大戦以降も生き残ることとなる。いっぽう旧日本軍では手榴弾や専用の弾薬を発射する「八九式擲弾筒」を大量に投入した*1。
続く朝鮮戦争で共産側の人海戦術に手こずったアメリカは、擲弾筒に相当する兵器の開発に着手。さらにベトナム戦争で川岸から哨戒艇を攻撃してくる解放戦線に対抗するため、海軍が擲弾発射機に再注目し、開発を促進させる。ただし、薬莢を持たない日本式の擲弾筒やライフルグレネードは連射には不向きであり、この点を解決するため、発射時に砲身内の圧力が上がらず、軽量のランチャーからも発射できる「ハイ・ロー・プレッシャー薬莢」が10年近い試行錯誤を経て設計された。
続く朝鮮戦争で共産側の人海戦術に手こずったアメリカは、擲弾筒に相当する兵器の開発に着手。さらにベトナム戦争で川岸から哨戒艇を攻撃してくる解放戦線に対抗するため、米海軍が擲弾発射機に再注目し、開発を促進させる。ただし、日本式の擲弾筒やライフルグレネードは連射には不向きであり、この点を解決するため薬莢式を選択。さらに発射時に砲身内の圧力が大きくなりすぎず、軽量のランチャーからも発射できる「ハイ・ロー・プレッシャー薬莢」が10年近い試行錯誤を経て設計された。その後、米海軍の擲弾発射機は、フルオートの据え置き型ランチャー・MK19となって完成し、アメリカ全軍で採用されることとなる。
一方軍用グレネードランチャーの実戦投入より以前、少なくとも1935年にはアメリカ・インディアナ州テレホートにおけるストライキで、暴徒を鎮圧する目的でが開発された個人携行可能な26.5mmガス弾ランチャーが実際に使用されている*2。その後、1938年には信号弾、煙幕弾、ガス弾を使用可能なマンビル37mmランチャー?が開発され、以後37mm口径は非殺傷性擲弾の標準となっていった。
この携行式ランチャーの利便性に注目したアメリカ陸軍によって、1960年に前述の40mm口径「ハイ・ロー・プレッシャー薬莢」を採用したM79が開発され、ベトナム戦争に投入される。これが世界初の規格化された軍用個人携行型グレネードランチャーの登場となった。以降は、アーウェン37やアームスコー MGL?などのリボルビング・グレネードランチャーをはじめとする連発型も、警察用・軍用に開発されている。
M79により歩兵の火力は増大し、さらにM203のような小銃の銃身下に装着する「アッド・オン」タイプが登場したことで、護衛の人員を要することなく擲弾発射器が使用可能となった。しかし「アッド・オン」タイプのものは、取り付けた小銃の照準特性が変化したり、発射器を搭載した小銃以外では擲弾を使用できないので、自衛隊やイタリア軍などを筆頭に、現在でも小銃擲弾にこだわっている組織もある。
近年は、XM29、XM25に採用された、従来のグレネードよりも更に高い初速で直進し、FCS等のコンピュータ制御により敵兵の頭上で炸裂する『エア・バースト・グレネード』などが開発・試験中である。しかし弾薬やデータ入力の統一規格が無い事や、戦場での耐久性や動力源の確保に関する疑問、批判など、その実用性を疑問視する声もある。
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