*武装親衛隊 / Waffenschutzstaffel

 武装親衛隊とはナチ政権下のドイツで創設された軍事組織((パウル・ハウサーらがニュンベルク裁判で武装親衛隊は他の親衛隊組織と異なり純粋な軍事組織であると主張したほか、戦後の武装親衛隊の名誉回復に尽力した結果。東西冷戦の中で西ドイツの空気も変わったこともあり、武装親衛隊員に課せられていた様々な法的制限の問題についてはほぼ解決し、武装親衛隊は完全に国防軍軍人と同じとされた。))で、Waffen-SSや武装SSなどと略されることが多い((SSはSchutzstaffel=親衛隊の略))。
 これはヒトラーが国家唯一の兵器の保有・携帯を許される組織である陸軍の反逆から、あるいは国内の騒擾から自身を守らせるために設けた党もしくはヒトラー個人の私兵である。

 武装親衛隊は陸軍や警察でもない、政治的に信頼できる親衛隊員から成る武装組織で、国家の軍隊ではなく、国防大臣を通さずヒトラーが直接指示を下せる軍事組織で、その前身は身辺警護を行っていた一般親衛隊から1933年にヨーゼフ・ディートリッヒが指揮するヒトラー個人の警護部隊と、1935年、パウル・ハウサーがSS-Verfuegungstruppe((親衛隊特務部隊、SS-VTと略される。))編成されたことに始まる。

 「武装親衛隊神話」が実しやかに語り続けられるのは、旺盛な敢闘精神を示すべき政治的兵士として優先的に新兵器の供給を受けて戦った、精強な一握りの「エリート部隊」が超人的といっても過言ではない戦いぶりを示した故である。また師団長以上の将官の戦死者が36名(ほぼ1師団あたり1名)と、兵と共に前線にあった者が多かったことが伺える。真っ黒な勤務服や厳しい体格制限、その輝かしい戦果から、ナチス賛美が危険視される現代社会に於いても熱狂的な愛好者を持つ事で知られる。

 一方で、その戦歴の中にはフランス・オラドゥール村における住民虐殺事件、「バルジの戦い」の際のベルギー・マルメディ村における捕虜虐殺事件など、いわゆる「戦争犯罪」の昏い側面も見え隠れしている。両事件とも訴追されたSS隊員は、最終的にはいずれも不起訴、もしくは恩赦により釈放されているが、マルメディ事件の首謀者とされたヨアヒム・パイパーは、潜伏先のフランスで、自宅に火炎瓶を投げ込まれ焼死している。

***装備品(火器)
|分類|銃器名|備考|h
|拳銃|[[マウザー M713>マウザー C96]]|不足していた短機関銃を補うため一部部隊に配備されていたのみで正式採用ではない。|
|~|[[ルガー P08]]|−|
|~|[[ワルサー PP/PPK>ワルサー PP]]|−|
|~|[[ワルサー P38]]|−|
|~|[[ワルサー カンプピストル]]|−|
|小銃|[[マウザー Kar98K>小銃/マウザー Kar98K]]|−|
|~|[[ワルサー Gew43]]|−|
|短機関銃|[[ベルグマン MP18>短機関銃/ベルグマン MP18]]|−|
|~|[[ハーネル MP28>短機関銃/ベルグマン MP18]]|−|
|~|[[ステアー MP34>短機関銃/ベルグマン MP18]]|−|
|~|ベルグマン MP35|−|
|~|エルマベルケ EMP-35|−|
|~|[[エルマベルケ MP38/MP40>短機関銃/エルマベルケ MP40]]|−|
|突撃銃|[[ハーネル Stg44]]|−|
|軽機関銃|[[ラインメタル/マウザー MG34]]|−|
|~|[[グロスフス MG42]]|−|
|対戦車火器|[[HAS パンツァーファウスト]]|−|
|~|[[HAS パンツァーシュレック>HAS RPzB43]]|−|
***主な部隊
|部隊番号|部隊名|備考|h
|第1SS装甲師団|ライプシュタンダーテSSアドルフ・ヒトラー((略称:LSSAH))|隷下の第101SS重戦車大隊がヴィレルヴォカージュの戦いで&br;200両以上からなる英軍部隊にSd.Kfz.181ティーガ重戦車25両で攻撃。英軍は60両近くの装甲車両に損害・撤退した。ドイツ側の損害は11両のみである。|
|第2SS装甲師団|ダス・ライヒ|ユーゴスラビアのベオグラードをたった6人で占領した他&br;アルデンヌの戦いでエルンスト・バルクマンが立った1両のSd.Kfz.171パンター中戦車で米軍戦車9両を撃破|
|第3SS装甲師団|テータンコプフ|強制収容所の看守部隊「親衛隊髑髏部隊((SS-TVと略される、SS-VTと紛らわしいので注意。))」から引き抜かれた非常に癖の強い部隊。&br;1943年には構成人員が入れ替わるほどの高い死傷率を誇っていた。&br;東部戦線での戦争犯罪は記録されていないが残忍な評判は残り続けていたという。|
|第5SS装甲師団|ヴィーキング|ドイツ人以外にもフィンランド義勇兵が多数在籍していて終戦間際まで師団長のフェリックス・シュタイナーを含めヒトラーの信望も厚かった。((ただし、終戦間際反撃能力が無いことを知るととたんにヒトラーからの信望を失ってしまった。))|
|第12SS装甲師団|ヒトラーユーゲント|その師団名が表すとおりほとんどの兵士がユーゲント((ナチ政権下の青少年組織))出身の未成年で構成され、&br;指揮官には第1SS装甲師団から、下士官は国防陸軍から招き入れ、ガチョウ脚訓練などを省いた実践的な訓練を受けていた。&br;ノルマンディー作戦においてはカーン市を2ヶ月近く死守し続くファレーズ地方撤退戦では最後まで残って戦うなど勇猛果敢振りを発揮した。|
|SS第36武装擲弾兵師団|ディルレヴァンガー((正確には45年2月に師団へ昇格する以前の部隊名))|密猟者・犯罪者・有罪判決を受けた武装SS隊員や国防軍兵士・政治犯等で構成された部隊&br;指揮官のディルレヴァンガー自身、BDMの少女に対する性的暴行の前科持ち&br;部隊の規模を拡大しつつ、ポーランドやベラルーシでパルチザン掃討にあたるが、略奪・暴行・虐殺で悪名を馳せた|

+■在籍/出身の人物(実在)
++H・ヒムラー(SS元帥)
++P・ハウサー(SS上級大将)
++J・ディートリヒ(SS上級大将)
++F・シュタイナー(SS大将)
++H・フェーゲライン(SS中将)
++K・マイヤー(SS少将)
++W・モーンケ(SS少将)
++J・バイパー(SS大佐)
++E=G・シェンク(SS大佐)
++O・スコルツェニー(SS大佐)
++M・ヴィットマン(SS大尉)
++E・バルクマン(SS曹長)
など著名人多数
+■在籍/出身の人物(架空)
++少佐([[ヘルシング]])
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