1939年11月から翌1940年3月まで行われたソ連とフィンランド間の戦争。「ソ芬戦争」とも云う。
1939年9月のドイツのポーランド侵攻により発生した世界緊張。そんな中、ソ連は隣国フィンランドを経由した第三国の国内侵攻を恐れ、フィンランドに対し領土の割譲と不凍港の租借、そしてフィンランドが長年かけて構築した対ソ連用の防御ラインの撤去を要求する。この要求に対しフィンランド政府は緩衝地帯の提案や一部の租借を容認するなど妥協案を提示するも、ソ連側の要求と隔たりは大きく交渉は決裂。そして遂に11月、ソ連は「フィンランド内で抑圧されている人民のため、親ファシストである現行フィンランド政権の打倒する」との名目のもと、約45万人の兵力と豊富な航空機、戦車、火砲を持ってフィンランド領へと侵攻を始めた。
これに対してフィンランド側は軍務に耐えうる成人男性のほぼ全てを動員して35万人の兵力で対抗。しかし装備はソ連側とは比べ物にならないほど貧弱で、下馬評では鎧袖一触のもとフィンランドが蹂躙されると云われたが、大粛清により著しく弱体化したソ連軍は士気も作戦能力も劣悪だった事に対し、フィンランド側は防御側の有利と冬季の利点を最大限に生かしたゲリラ作戦で戦闘は意外にも長期化する。
その間、イギリス・フランスを筆頭とした諸外国のソ連糾弾とフィンランドに対する援助物資や義勇兵の参加が高まり、業を煮やしたソ連はさらに60万人の兵力を投入して再攻勢を開始し、その圧力を背景にフィンランド領の一部割譲を条件に講話を提案する。この提案に対しフィンランド側も勝ってはいたものの既に国力の限界に来ていたため提案を受諾。1940年3月に講和条約が締結され戦争は終結した。
この戦争でソ連軍の弱兵ぶりを見たドイツのヒトラーは「ソ連与し易し」と翌1941年のソ連領侵攻(独ソ戦)を決意したとも云われ、フィンランドは奪われた領土を奪回せんとドイツに接近し、独ソ戦ではドイツ軍と共にソ連領となった旧領奪回に侵攻(継続戦争)を行う。
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約35万人 | 総兵力 | 約105万 (第一次攻勢:約45万人) (第二次攻勢:約60万人) |
(調査中) | 砲火力 | 5880門 |
(調査中) | 戦車・装甲車 | 4385輌 |
約120機 | 航空機 | 670機 |
装甲海防艦2 補助艦15 潜水艦5 | 艦船 | 戦艦2 巡洋艦2 補助艦75 海防艦3 潜水艦52 |