「拳銃弾を用いた機関銃」という意味で云えば、初めてのそれは19世紀の後半に作られたマキシム機関銃の拳銃弾バージョンである。といっても販促用に作られたもので、デモンストレーションの際に充分な広さの射撃場が得られなかった場合に使われた低威力バージョンであったようだ。
初めて本格的に開発・量産されたのは、イタリアの「ビラール・ペロサM1915」である。第一次世界大戦当時、イタリア空軍では航空機に搭載可能な機銃として、陸軍では山岳部隊で使用する支援火器として用いられたようだが、いずれにせよ大きく重い従来の機関銃*1の代替となりうる比較的軽便な自動火器として発案されたのが始まりだった。
ビラール・ペロサM1915は、左右に並べた二本の銃身にそれぞれ独立した機関部を持ち、いわゆる短機関銃とするにはかなり大仰な、むしろ軽機関銃に近いシロモノだった。イタリア軍から1万挺のオーダーを受けた*2ほか、銃身の生産を請け負っていたベレッタ社がSMGの開発・生産に乗り出すきっかけともなったが、所詮拳銃弾では長距離での威力に乏しく、制圧力に欠け、「重機関銃の代替」にはとても成り得なかった。
一方、20世紀初頭に帝政ドイツで開発された「MP18」は、全く異なるコンセプトをもっていた。
第一次世界大戦で戦闘を膠着状態に陥れた「塹壕戦」は、長大なボルトアクション式の小銃が用を成さない接近戦を兵士たちに強いた。そのため、塹壕という限られた狭所空間で取り回しが利く、長距離での火力を考慮する必要のない、軽便な接近戦用火器としてデザインされたのがMP18であった。MP18はその目論見通りの威力を発揮し、ドイツの大攻勢の原動力の一つとなったものの、結果的にはドイツが敗北したため、当時はあまり高く評価されることなく終わった。
しかし、局所兵器としての短機関銃の有効性は各国に知れ渡ることとなり、MP18はのちの短機関銃のスタンダードを築いたことで、「世界最初の短機関銃」とされた。第一次大戦後に勃発したスペイン内乱では、MP18の改良型であるMP28を携えたドイツ義勇軍がその威力で以って活躍し、各国で短機関銃の開発・導入が進む契機となった。
第二次世界大戦が始まると、ナチス政権下となったドイツのMP40をはじめ、ロシアのPPSh41、アメリカのグリースガンといった代表的な短機関銃が次々と現れ、互いにその猛威を揮い合った。また、その軽便さゆえ、重い装備を持てない士官や戦車兵の護身用火器としても広く使われた。
この頃になると、より射程の長い突撃銃の登場により次第に戦場での価値は失われ、陸軍の主要な装備からは外されていくようになる。しかし一方で、スペックにこだわらなければ、乏しい資材や設備でも生産可能で、練度の低い兵でも扱えることから、資金・技術に乏しい発展途上国の軍の制式兵器として、或いは戦時下・準戦時下の緊急兵器として生産された。最近では独立戦争時のクロアチアでこの種の短機関銃が多数生産され、中には建設用資材をそのままレシーバー(機関部)として流用した物さえあった。
民間における短機関銃は、トンプソンをはじめとしてダークな印象が強い。携帯性と取り回しが良いこと、弾薬を入手し易いことから、古くはマフィアたちが、第二次大戦後は強盗団やテロリストが愛用し、独立運動や国境紛争、麻薬犯罪、要人の暗殺などが頻発した。
そして1970年代以降、それらに対抗する警察特殊部隊や対テロ部隊も短機関銃を使いだし、軍隊でも価値を失いかけた短機関銃は彼らの頼もしい武器として存在意義を取り戻した。問題だった命中精度の悪さによる市民への誤射も、MP5という精度の高い短機関銃の登場により解決していった。
これら経緯により現在の短機関銃は、主に特殊部隊が使用する「高精度だが高価な物」(MP5等)と、犯罪組織などが使う「低精度だが安価な物」(M11、ウージー等)の二分化が進んだ。しかし近年、短機関銃の威力不足が問題となったことから、PDWという短機関銃と突撃銃の中間に位置するような、新たなカテゴリーも生まれた。
しかし様々な理由からPDWはあまり普及せず、軍用としての採用は激減したものの、警察・法執行機関向けの短機関銃は21世紀現在でも新製品が開発され続けている。
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