*PPSh41【短機関銃】[#z756b6fd]
#ref(Ppsh41.jpg,center)
|モデル|全長|重量|口径|総弾数|発射形式|製造国|h
|~PPsh41|828mm|3.64kg|7.62mmx25|35/71|S/F|ソビエト|
|~MP717(r)|828mm|不明|9mm×19|32|S/F|ソビエト/ドイツ|

 愛称『バラライカ』『マンダリン』『ペーペーシャ(制式名と露語のペーペーシャ《殺せ、殺せ》をかけた物)』。
 1939年から1940年にかけて発生したソ連のフィンランド侵攻作戦(いわゆる[[冬戦争]])において、 ソ連軍はフ軍が使用するスオミ短機関銃によるゲリラ作戦に非常に悩まされた。 この戦いで近接戦闘での短機関銃の有効性を再確認したソ連軍は短機関銃の増産を決定。 折良く銃技士ゲオルグ・シュパギンがPPd短機関銃を簡略化した物を開発しておりこれを制式採用し、ソ連軍の前線部隊に大量に配備された。これがPPSh41(''P''istolet-''P''ulemjot ''Sh''pagina 19''41'':シュパギン式短機関銃1941年型)である。
 取り回しの良さとドラムマガジンによる多弾倉は、同年より始まった大祖国戦争([[独ソ戦]])において活躍し、大戦期を通じて製造され各地で使用されたため大祖国戦争での代表的短機関銃として挙げられている。一方のドイツ軍もPPShの使い勝手の良さに、鹵獲したPPShをそのまま使ったり、 改良を施して自軍の9mm弾に対応させた物を使用していた(ドイツ軍採用名称MP717(r))
なおマガジンは[[STEN]]のものを流用。バレル等少数の部品を交換するだけで使用可能となる。

 余談だが、71発という多弾倉は非常に魅力的であったものの、当然ながら弾込めには膨大な時間を要した。そのため、第二次世界大戦の終盤になると35発の箱型弾倉が作られるようになった。
 
 大戦後、中華人民共和国と朝鮮民主主義人民共和国でライセンス生産がされ、朝鮮戦争、ベトナム戦争にも使用された。中国製と北朝鮮製のPPSh41は後部サイトが、ソビエト製のものと違い、調節式になった。

|登場作品|ジャンル|使用者|備考|h
|VETCONベトコン|ゲーム|ベトコン/スティーブ ホーキンス|−|
|アヴァロン|映画|スタンナ|−|
|ウクライナ混成旅団|漫画|川瀬少尉|「幻の豹」に収録|
|エンパイアーズ|ゲーム|ロシアコマンドー|−|
|[[コール オブ デューティー]]|−|−|項目参照|
|[[こちら葛飾区亀有公園前派出所]]|漫画|ー|項目参照|
|[[ゴルゴ13]]|−|−|項目参照|
|[[ジオ ブリーダーズ]]|−|−|項目参照|
|スターリングラード|映画|ロシア軍兵士|−|
|戦争のはらわた−CROSS OF IRON|映画|シュタイナー|−|
|全開で飛ばせ|小説|嵯峨幸夫|第八章|
|トーキング ヘッド|映画|板野 二郎|−|
|ドラゴンボール|漫画|ヤムチャ|第十話|
|[[パラサイト イヴ]]|−|−|項目参照|
|ポリス ストーリー3|映画|チェン カーク|−|
|まぶらほ|小説|宮間 夕菜|−|
|[[メタルサーガ〜砂塵の鎖〜]]|−|−|項目参照|
|[[メダル オブ オナー]]|−|−|項目参照|
|[[ルパン三世]]|−|−|項目参照|
|[[ワイルド7]]|−|−|項目参照|
|[[ワンスアンドフォーエバー]]|−|−|項目参照|
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