全長 | 銃身長 | 重量 | 口径 | 装弾数 | 製造国 |
1020mm | 575mm | 3.7kg | 7.5mm×54 French | 5 | フランス |
MAS Modèle36(MAS-36)はフランスのサンテティエンヌ造兵廠で開発され、1936年にフランス軍に制式採用されたボルトアクションライフルである。MASは“Manufacture d'Armes de Saint-Étienne”の略で、サンテティエンヌ造兵廠製であることを表している。
1929年、フランス軍は新型弾薬である7.5mm×54弾を開発した。開発の発端は、当時フランス軍に用いられていた8mmリムド弾が陳腐化してきており、開発中の新型機関銃に用いるにより適した弾薬が要求されたためである。実際に7.5mm×54弾はFM24/29軽機関銃に採用され、次いで歩兵用小銃にもこの弾薬を使用するものを採用することになる。当時の制式小銃であったルベル M1886やベルティエ小銃を改造するという案もあったが、結局は新型小銃を開発することが決定。1932年にサンテティエンヌ造兵廠にて試作銃“MAS-32”が開発され、1936年にはMAS-36がフランス軍制式採用小銃化、1937年には配備が始まった。
MAS-36は各国の小銃が多少参考にされており、特にボルトのロッキングラグを後端に配置したことは、イギリスのリー・エンフィールドを意識したものと思われる。これによりSMLE同様ボルトの後退距離が短くなり、同様にボルトハンドルも後方に位置していたため、連射性はそれなりに高かった。ボルトハンドルはより操作し易くする目的で前方に曲がっていたが、いくつか他の小銃同様の位置にまで曲げる改造を施された固体も存在する。
独特の特徴としては、前後に分割された木製銃床だろうか。固定式マガジンが収まるあたりで前方後方に分かれている。また、17インチの銃剣は当時としては(当時としても*1)珍しくスパイク式で、銃身下部の筒に収納される方式になっていた。筒から引き出して回転させて固定するだけなので、紛失防止には優れていたと思われる。
全長の短さも特徴の一つである。第二次大戦中の小銃ではカルカノM1938(1015mm)と並ぶほど短く*2、取り回しが優れていた。さらに大型のピープサイトも装備されていたため、近距離戦ではとかく有利な設計だったと言えるだろう。
その他のモデルとしては、“MAS-36 CR39”というアルミ合金製折り畳み銃床を装備した空挺部隊向けモデル、“MAS-36 LG48”という48mmライフルグレネードを使用可能なモデル、“MAS-36/51”というNATO標準の22mmライフルグレネードを使用できるモデルなどが用意された。
ちなみにMAS-36にはマニュアルセイフティの類が一切存在しない。そのため、携行の際は弾薬を装填しないでおく必要があった。
こうして配備開始となったMAS-36だったが、当時フランスは大軍であったうえ、ルベル M1886やベルティエ小銃などが浸透しすぎており、その上で第二次大戦勃発の煽りも受けたため、中々思うように配備が進まなかった。MAS-36は主に前線の将兵達に優先的に配備され、後方ではM1886やベルティエ小銃が現役であった。ドイツのフランス占領時には、他の多くのフランス製兵器の例に漏れず多くのMAS-36がドイツ軍に接収、“Gewher242(f)”として駐仏ドイツ兵に用いられることとなった。
大戦後はフランス陸軍や植民地守備隊などにて用いられた。初期インドシナ戦争やアルジェリア戦争、第二次中東戦争(スエズ動乱)などそれなりに多くの戦争に参加する。特にスエズ動乱では、フランス軍第二植民地落下傘連隊の狙撃手がMAS-36にスコープを取り付け、エジプト軍狙撃手の排除に活用した。
1949年には後継小銃として自動小銃MAS-49が採用された。先述の戦争を共に戦った後、MAS-36はフランス歩兵の相棒の座をMAS-49に明け渡す。しかし老兵はなんとやら、1952年の生産終了後も、民間では狩猟用に改造されて用いられ、さらにはスエズ動乱以来本格的に狙撃銃としての道を歩み始めることになる。高精度銃身やコンペンセイターなどを装備した“FR-G2”に始まり、大幅な改装を加えた“FR-F1”も登場。現在でも7.62mmNATO弾を使用するFR-F2がフランス軍やメディア作品で活躍している。
登場作品 | ジャンル | 使用者 | 備考 |
コール オブ デューティ2: ビッグ レッド ワン | − | − | 項目参照 |
最新の10件を表示しています。 コメントページを参照