*二十二年式村田連発銃 / Murata Type 22(Model 1889) Infantry Rifle 【小銃】 [#s827d44d]
#ref(murat22.gif,center,nolink,二十二年式村田銃)
|全長|重量|口径|装弾数|製造国|h
|1210mm|4000g|8mmx53R|8|日本|

 1889年(明治22年)、日本陸軍に制式採用された初の国産連発[[小銃]]。
 単発だった[[十三年式村田銃>東京砲兵工廠 十三年式村田銃]]や改良型の[[十八年式村田銃>東京砲兵工廠 十三年式村田銃]]に比べて、村田連発銃はチューブラーマガジン(チューブ式マガジン)に8発もの弾薬を装填する事が出来た。
 また、弾薬は黒色火薬を用いた十三年式・十八年式の11mm弾薬よりも、小口径かつ高速な無煙火薬使用の8mm弾薬となっている。
 なお、[[カービン>騎兵銃]]モデルとして全長959mm、装弾数5発の二十二年式[[騎兵銃]]も存在する。

 日清戦争や義和団事件等で使用された村田連発銃だったが、多くの欠点があり兵士からは不評だった。
主な欠点は、
・チューブラーマガジンには通常のライフル弾のような尖頭弾は使えないため、フラットノーズ(先端が平たい)の弾丸が採用され、その結果命中精度が低くなってしまった(500m先の標的(死馬)に全く当たらない)
・チューブラーマガジンへの装弾には[[クリップ]]が使えないため、銃上部から一発ずつ込めなければならず、手間と時間がかかる
([[散弾銃]]のチューブラーマガジンのような銃下部からの装弾は出来ない)
・主な戦場だった中国の乾燥した気候では、機関部に入り込んだ砂塵によって故障を起こしやすく、連発する事が困難になってしまった。
(兵士達には「若干の予備弾を銃の中に収めることが出来る単発銃」と揶揄された)

 その後の日露戦争では後備歩兵による使用に留まり、主力装備は[[三十年式歩兵銃>東京砲兵工廠 三十年式歩兵銃]]に置き換えられてしまった。

|登場作品|ジャンル|使用者|備考|h
|[[サイレン]]|−|−|項目参照|

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