モデル | 全長 | 重量 | 口径 | 総弾数 | 製造国 |
三八式歩兵銃 | 1276mm | 3.73kg | 6.5mmx50SR | 5 | 日本 |
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三八式騎兵銃 | 966mm | 3.3kg | 6.5mmx50SR | 5 | 日本 |
九七式狙撃銃 | 1280mm | 4kg | 6.5mmx50SR弱装弾 | 5 | 日本 |
三八式改造自動小銃 | 1280mm | 不明 | 6.5mmx50SR | 20 | 日本 |
有坂成章の設計による三十年式歩兵銃?を、南部 麒次郎が改良・再設計したボルトアクション式小銃。明治38年(1905年)に「三八式歩兵銃」の名で制式化された。
三八式歩兵銃は6.5mmという小口径弾*1を採用していた。口径の割に銃身が長く慣性質量が大きめなため、射手の肩にかかる反動衝撃は小さく、発射音や銃口ブラストも小さかった。小柄な射手でもガク引きを起こしにくく、リラックスして引き金を引き絞ることができた。
三八式の初陣は1914年の青島で、本格的に投入されたのは1918年のシベリア出兵である。そして1931年の満州事変以後は、中国軍の装備するマウザー98ライフル?と本格的に対決することとなった。
小口径ゆえの威力不足も懸念されたが、小銃同士の撃ち合いでは、三八式は中国軍のドイツ製7.92mmx57小銃弾にもいささかも負けなかったという。これは小口径で高初速を実現した6.5mm実包が、今日の5.56mmx45弾を先取りした理想的小銃弾に近かったことを物語っている(同じ銃弾を使用する帝政ロシアの自動小銃フェデロフM1916がそれを証明している)。1939年に九九式小銃?が作られるまで、三八式は現役で使われた。
「三八式歩兵銃は陸軍の白兵戦思想に基づいてあのように長くなっている」という俗説があるが、これは大きな間違いである。そもそも三八式歩兵銃は日露戦争中に欠陥が見つかった三十年式歩兵銃を大至急に改善しようとしたもので、全長などの基本諸元も見直す余裕もないままそっくり踏襲されている。三十年式歩兵銃の全長は初めから仮想敵国ロシアの小銃よりも短くされたものであり、銃剣込みだとその差はさらに大きかったのである。
1937年には生産中の三八式歩兵銃の中から精度の良いものを選び、これに倍率2.5倍の九七式眼鏡をつけ狙撃銃とした九七式狙撃銃が開発されている。また昭和初期、萱場製作所(現:カヤバ工業)により半自動化も試みられた*2。
また本銃は日本製の武器の中で最も成功した輸出商品でもあり、第一次大戦中にロシアに100万挺以上、イギリスに30万挺以上も輸出され評判も良かった。
三八式歩兵銃は世界的に見ても優秀なボルトアクション式小銃であったが、大東亜戦争は航空機や機械化兵器が勝敗を決する戦争であり小銃同士の優劣が勝敗を決める時代ではなく、その有効性を発揮する事はできなかった。
登場作品 | ジャンル | 使用者 | 備考 |
226 | 映画 | 反乱軍兵士 | − |
ウインドトーカーズ | − | − | 項目参照 |
エンド オブ オール ウォーズ | 映画 | 日本軍兵士 | − |
学園キノ | − | − | 項目参照 |
サイレン | − | − | 項目参照 |
ジパング | − | − | 項目参照 |
戦場のメリークリスマス | 映画 | 日本軍兵士 | − |
大日本帝国 | 映画 | 日本軍兵士 | − |
脱出 GETAWAY | 小説 | 三八爺さん | 警官隊に向けて使用 |
動乱 | 映画 | 日本軍兵士 | − |
パイロットハンター | 漫画 | 狙撃兵 | スコープ付き |
バトルフィールド? | − | − | 項目参照 |
パワプロクンポケット | − | − | 項目参照 |
ビッグマグナム黒岩先生 | − | − | 項目参照 |
ビルマの竪琴 | 映画 | 日本軍兵士 | − |
閉鎖病院 | ゲーム | 日本軍兵士 ガス男(実験体) 新聞記者 | 銃剣装着 |
兵隊やくざ | 映画 | 大宮 貴三郎 日本軍兵士 | − |
ムルデカ17805 | 映画 | 日本軍兵士 インドネシア独立軍兵士 | − |
メダル オブ オナー | − | − | 項目参照 |
燃える戦場 | 映画 | 日本軍兵士 | − |
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