*ワシノ精機 四式小銃 [#t296abd2]
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|全長|重量|口径|総弾数|発射形式|製造国|h
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*ワシノ精機 四式自動小銃 【自動小銃】 [#t296abd2]
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|全長|重量|口径|装弾数|発射形式|製造国|h
|1073mm|4.0kg|[[7.7mmx58>口径]]|10|S|日本|

 第2次大戦末期に、日本海軍で開発された[[自動小銃]]。
 大戦中、アメリカ海兵隊が持つ[[M1ガーランド>スプリングフィールド M1]]により、自動小銃の威力を身をもって知った日本海軍は、自軍用に自動小銃を欲するようになった。だが小火器の研究開発は陸軍の領分であり、その陸軍の自動小銃開発計画は遅々として進んでおらず、実用化など何を云わんやな状況だった。そこで海軍は、独自に自動小銃の研究開発を開始する。
 短期間で開発するため海軍が目を付けたのは鹵獲したガーランドであり、海軍廠指揮の下、愛知県のワシノ精機に依頼してガーランドのコピーを製作。これに日本仕様として使用弾の自国制式弾(7.7mm)対応と照尺の書き換え、着剣用の留め具、菊御紋、箱形弾倉を追加した試製銃を1945年に作り上げた。これが四式小銃である。
 第二次世界大戦末期の1944年に、旧日本海軍で開発された[[自動小銃]]。
 第二次世界大戦以前には陸軍指示のもと、国内の工業会社3社が甲・乙・丙の3種の試作自動小銃を完成させ、試験が行われていたが、日中戦争が勃発すると[[三八式>小銃/東京砲兵工廠 三八式歩兵銃]]の増産が優先され、開発中止となっていた。
 その後、ガダルカナル戦において[[アメリカ海兵隊]]の[[M1ガーランド>スプリングフィールド M1]]を鹵獲した旧日本軍は、これをベースに半自動小銃を設計する計画を開始した。

 しかし使用弾の変更が拙かった。オリジナルより火薬量が少ない7.7mm弾では自動装填機構の作動に必要なガス圧が足りず、量産試作した約250挺は、どれ一つ満足に作動しない始末。後に小火器製造に長けた中央工業の開発参加を契機に機構を一新した改修型が設計されるも、一挺も実戦に投入されないうちに敗戦を迎えた。
 海軍廠指揮の下、愛知県のワシノ精機に依頼してガーランドのコピーを製作。使用弾は自国制式弾(7.7mm)とし、オリジナルのアンブロッククリップを用いず、[[固定弾倉>マガジン]]に5連x2の10発を装填する設計とし、その他、照尺の変更や[[着剣>銃剣]]用の留め具、菊御紋、箱形弾倉を追加した試製銃を1944年に完成。これを四式自動小銃と呼称した。
 しかしオリジナルの.30-06弾より火薬量が少ない7.7mm弾では自動装填機構は安定して動作せず、陸軍の参加により小火器製造のノウハウがある中央工業が改修を行ったものの、終戦までに完成させることはできなかった。

 戦後、アメリカ軍は鹵獲した四式小銃を評価するため本土へ持ち帰ったが、その際に前述の改修型に「TYPE-5(T5)」の名前を割り振る。これが日本に返還された際、訂正される事なく「五式」の名前で紹介されたため、同じ銃でありながら「四式」と「五式」の二つの名前で呼ばれる混乱を引き起こした。
 戦後アメリカ軍に鹵獲された際、何故か「Type 5」の名称で記録されたため海外ではそちらの名称が有名である。

|登場作品|ジャンル|使用者|備考|h
|[[バトルフィールド1942>バトルフィールド]]|−|−|項目参照|

|[[ENLISTED]]|−|−|項目参照|
|[[ドールズフロントライン]]|−|−|項目参照|
|[[バトルフィールド1942]]|−|−|項目参照|
|[[バトルフィールド1943]]|−|−|項目参照|
|[[バトルフィールド バッドカンパニー2]]|−|−|項目参照|
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