全長 | 重量 | 口径 | 装弾数 | 発射形式 | 製造国 |
1073mm | 4.0kg | 7.7mmx58 | 10 | S | 日本 |
第2次大戦末期の1944年に、旧日本海軍で開発された自動小銃。
第2次大戦以前には陸軍指示のもと、国内の工業会社3社が甲・乙・丙の3種の試作自動小銃を完成させ、試験が行われていたが、支那事変が勃発すると三八式?の増産が優先され、開発中止となっていた。
しかし大戦中、ガダルカナル戦においてアメリカ海兵隊が持つM1ガーランドにより、自動小銃の威力を身をもって知った旧日本軍は、改めて自軍用に自動小銃を欲するようになった。海軍陸戦隊が落下傘部隊の装備として求めていたこともあり、まずは海軍主導のもと国産自動小銃の研究開発が新たに開始された。
短期間で開発するため海軍が目を付けたのは鹵獲したガーランドであり、海軍廠指揮の下、愛知県のワシノ精機に依頼してガーランドのコピーを製作。これに日本仕様として使用弾の自国制式弾(7.7mm)対応と照尺の書き換え、着剣用の留め具、菊御紋、箱形弾倉を追加した試製銃を1944年に作り上げた。これが四式自動小銃である。
しかし使用弾の変更が拙かった。オリジナルより火薬量が少ない7.7mm弾では自動装填機構の作動に必要なガス圧が足りず、量産試作した約250挺は、どれ一つ満足に作動しない始末。後に陸軍の参加により、小火器製造に長けた中央工業が改修版を設計するものの、一挺も実戦に投入されないうちに敗戦を迎えた。
戦後、アメリカ軍は鹵獲した四式自動小銃を評価するため本土へ持ち帰ったが、その際に「TYPE-5(T5)」の名前を割り振る。これが日本に返還された際、訂正される事なく「五式」の名前で紹介されたため、同じ銃でありながら「四式」と「五式」の二つの名前で呼ばれる混乱を引き起こした。アメリカ軍が本銃を「TYPE-5」と読んだ経緯には諸説あるものの、事実不明のまま海外ではTYPE-5の名称が定着している。なお、日本国内の四式自動小銃に関した当時の資料では「五式」の名称は登場していない。
登場作品 | ジャンル | 使用者 | 備考 |
バトルフィールド? | − | − | 項目参照 |
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