*FM Modèle1915 CSRG 【軽機関銃】
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*FM Modèle1915 CSRG 【軽機関銃】 [#m9f78473]
#ref(chauchat.jpg,center,nolink,25%,ショーシャ)
|モデル|全長|銃身長|重量|口径|装弾数|連射速度|発射形式|製造国|h
|~Mle1915|1,170mm|450mm|9.5kg|[[8mm×50 Lebel/7.92mm×57/7.65mm×53>口径#RifleAmmo]]|20|240発/分|S/F|フランス|
|~Mle1918|~|~|~|[[.30-06>口径#RifleAmmo]]|16|~|~|~|
|~Mle1915|1,170mm|450mm|9.5kg|[[8mm×50R Lebel&br;7.92mm×57&br;7.65mm×53>口径#RifleAmmo]]|20|240発/分|S/F|フランス|
|~Mle1918|1,170mm|450mm|9.5kg|[[.30-06>口径#RifleAmmo]]|16|~|~|~|

 Fusil Mitrailleur(仏:軽機関銃) Modèle1915はフランス軍のショーシャ大佐が中心となって開発した[[軽機関銃]]である。主設計者の名前を取り、「ショーシャ(Chauchat)」と呼称されることが多い。
 Fusil Mitrailleur(仏:自動小銃) Modèle1915は、1903年に始まったフランス軍主導の自動火器開発計画の一環で、ルイ・ショーシャ大佐、シャルル・シュテール兵器工、グラディエートル社のポール・リベイロールスらによって1907年に開発された。重く嵩張る三脚やチーム運用を必要としない[[機関銃]]として開発された、黎明期の[[軽機関銃]]の一つである。CSRGの呼称は、彼ら設計陣と開発会社から取られた「ショーシャ・ステール・リベイロールス・グラディエートル」の頭文字だが、主設計者である「ショーシャ(Chauchat)」の名で呼ばれることが多い。

 Mle1915は1903〜1910年に始まったフランス軍主導の自動火器開発計画の一環で、ルイ・ショーシャ大佐、シャルル・ステール兵器工、当時兵器製造を行っていた会社のグラディエータで総責任者をしていたポール・リベイロールらによって1907年に開発された。彼ら設計陣と開発会社の頭文字を取ったのが、正式名称にあるCSRG(ショーシャ・ステール・リベイロール・グラディエータ)である。量産は1915年からで、先述のグラディエータが担当した他に、1918年ごろからはSIDARMEも生産に携わった。1916年よりフランス軍制式装備になった後、ポーランド、ベルギーを始めとしてロシアやルーマニア、セルビア、ギリシア、イタリアなどへ輸出され、アメリカ欧州派遣軍にはMle1918として採用されたように、諸外国へも供給され、第一次世界大戦とその後しばらくの間の戦争に用いられた。フランス軍では1920年代から[[Mle1924/29>軽機関銃/MAC Mle1924/29]]に後継を託したが、第二次世界大戦にも限定的に投入された。プレス加工を採用するなど大量生産に向いた設計になっており、1922年の量産終了までの総生産数はおよそ262,000挺にのぼった。
 生産開始は第一次世界大戦勃発後の1915年からで、1916年よりフランス軍歩兵の標準的な支給火器の一つとなった。製造には先述のグラディエートル社のほか、1917年からは同国のSIDARME社も携わった。フランス軍では1920年代から[[Mle1924/29>軽機関銃/MAC Mle1924/29]]に後継を託したが、第二次世界大戦でも限定的に投入された。

 作動方式はガスによる補助付きの[[ロングリコイル>ショートリコイル]]で、[[オープンボルト]]である。設計に当たっては[[ジョン・M・ブローニング>ジョン・モーゼス・ブローニング]]の製作したレミントン・モデル8とそのパテントに影響を与えられている。筒型のレシーバー等はスチールの[[プレス加工]]で、ボルト等はスチール塊から製作されており、銃身は[[ルベルライフル>小銃/ルベル M1886]]のものを銃口側から切り詰めたものを使用した。[[アイアンサイト>オープンサイト]]は左側に寄せられている。マガジンは[[シングルカラム]]で半月状の大きなもので、右側面に大きな窓があけられていた。
 弾薬に関しては、フランス軍向けのものが8mm×50ルベル弾を使用し、ポーランド軍向けのものが7.92mm×57マウザー弾、ベルギー軍向けのものが7.65mm×53アルゼンチン(ベルジャン・マウザー)弾、アメリカ欧州派遣軍向けのMle1918が.30-06弾を使用した。
 撃発は[[オープンボルト]]、作動方式は[[ロングリコイル>ショートリコイル]]で、発砲のマズルブラストによって作動を補助する仕組みだった。設計は[[ジョン・M・ブローニング>ジョン・モーゼス・ブローニング]]の製作したレミントン・モデル8自動小銃とそのパテントが元になっている。大量生産のため構造は簡素化が努められた。レシーバーは[[プレススチール製>プレス加工]]でシンプルな筒形に形成され、銃身は[[ルベルライフル>小銃/ルベル M1886]]のものが銃口側から切り詰め加工されて使用された。[[アイアンサイト>照準器]]は左側に寄せられている。[[マガジン]]は[[シングルカラム]]の20連発だが、半月状の大きなもので、右側面に大きな窓があけられていた。
 [[弾薬]]は、フランスの主力小銃弾であった8mm×50Rルベル弾を使用し、ポーランド軍仕様が7.92mm×57マウザー弾、ベルギー軍仕様が7.65mm×53アルゼンチン(ベルジャン・マウザー)弾、アメリカ外征軍のM1918が.30-06弾を使用した。

 この銃最大の特徴と言って差し支えないであろう点として、問題が多発したということがある。潤滑油切れに弱い性質や、マガジンの窓からの砂や泥の侵入などにより[[ジャム]]が頻発した、反動制御が難しかった、アイアンサイトが狙いにくかった、[[フルオート]]で連射するとすぐに過熱して撃てなくなった…などなど、大小様々な問題が取り沙汰された。窓の開いてないマガジンを製作したり、泥や砂よけのカバーを用意するなど対策も少なからず行われたが、本格的に対策が始まったのは1917年以降だったため、一番の活躍場であった第一次大戦においては結局大きく改善されることは無かった。
 多々問題こそあったが、しかし、第一次大戦当時に携行が容易でフルオート射撃をすることができる火器が少なく、その上で大量生産されたこともあって、ヨーロッパ諸邦でそれなりに用いられたのも事実である。第一次大戦後のギリシャ=トルコ戦争、ポーランド=ソビエト戦争、[[冬戦争]]・[[継続戦争]]等と言った諸戦線の火力増強にも少なからず寄与した(かもしれない)功績は忘れるべきでないだろう。
 ショーシャは多くの欠陥による扱いの難しさに定評がある。ショーシャの半月型マガジンはバネが弱く、側面の開口部からオイルを差すことが必須であったため、ここから砂や泥が容易に侵入することから、野戦での使用には常に注意が必要だった。ロングリコイル作動のため連射速度は低かったが反動は大きく、後方へ長く伸びたレシーバーとロングリコイルによって発砲のたびに突き出す機関部を避けるように保持しなければならず、正確な照準が困難で、反動の大きさと相まって命中精度は低かった。[[フルオート]]で連射し続けると過熱した銃身冷却フィンが膨張し作動が阻害されることから、間欠的な[[バースト]]射撃を行うよう指導された。マガジンの開口部を廃止したり、ダストカバーを追加するなど対策も少なからず行われたが、本格的に対策が始まったのは1917年以降だったため、当初の活躍の場であった第一次大戦においては大きく改善されることは無かった。
 アメリカ軍向け.30-06仕様は特に酷く、急ごしらえで改造設計されたため.30-06への対応が十分ではなく[[動作不良>ジャム]]が多発した。後年のショーシャの悪評はこの.30-06仕様の欠陥から来ているとも言われる。

 しかし多々問題こそあったが、第一次大戦当時、大多数の国では携行が容易なフルオート火器はほとんどなかったため、Mle1915系列はフランスはじめヨーロッパ諸邦で重用され、大量に生産された。1922年の生産終了までにおよそ262,000挺が製造されて、ポーランド、ベルギーを始めとしてロシアやルーマニア、セルビア、ギリシア、イタリア、アメリカなど諸外国へ輸出された。第一次世界大戦ののちもギリシャ=トルコ戦争、ポーランド=ソビエト戦争、[[冬戦争]]・[[継続戦争]]などで使用された。

|登場作品|ジャンル|使用者|備考|h
|[[靴ずれ戦線]]|−|−|項目参照|
|[[ドールズフロントライン]]|−|−|項目参照|
|[[鋼の錬金術師]]|−|−|項目参照|
|[[バトルフィールド 1]]|−|−|項目参照|
|[[バトルフィールド V>Battlefield V]]|−|−|項目参照|
|ファイブ・デイズ・ウォー|映画|セペグリア|補充兵に「役に立たない」と説明する((直訳は「ゴミだから気にするな(It's a piece of garbage, don't worry about it.)」))|
|~|~|クロトシンスキー|−|
|[[ロング・エンゲージメント]]|−|−|項目参照|
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