*火縄銃

 戦国時代の種子島に伝わった前装式のマッチロック式銃。その伝来地の名をとって「種子島銃」あるいは「種子島」と呼ばれることも多い。
 『鉄炮記』の記述によると日本への鉄砲伝来は1543年(天文12年)の種子島で漂着した中国船に同乗していたポルトガル人が所持していたとされる。また、応仁の乱(1467年)で火縄銃の原始的な火器が使われていたのではないかという説もある。

***仕組み
1.引き金を引くと火をつけた火縄が、あらかじめ黒色火薬を盛りつけておいた火皿と呼ばれる部品を叩く。
2.火は火皿の口薬と呼ばれる微粉末黒色火薬に引火する。
3.火皿内部に切られた導火孔の中の口薬は燃焼を続けて薬室内部へ到達する。((ただし実際は、導火孔に火薬が詰まった状態にある場合、引火がゆっくりと進み引金をひいてからの時間差が生じて遅発となってしまって命中しないため、導火孔は空洞に保ち火花を通し易くしておく。))
4.薬室内部の胴薬または玉薬と呼ばれる装薬に火が伝わるとそこで一気に燃焼(爆燃)、込められた弾丸を射出する。
***装填方法
1.火縄に着火しておく。複数の着火した火縄を準備することが多い。
2.銃口へ発射薬である胴薬と弾丸を装填する。火薬と弾丸((この手順は最も時間がかかるため早合と呼ばれる装薬と弾丸を一体化したものが開発された。))は槊杖(カルカともいう)で銃身の奥へ押し固める((このとき槊杖を使わずに握りを地面に打ち付ける方法もある。))。
3.火皿に点火薬である口薬を入れ、火蓋を閉じ、火の点いた火縄先を火挟に挟む。
4.構えて狙いを付ける。標的の体に当る可能性を高める為に胴体の中心を狙う。距離は標的の目の白黒が見える位とされた。
5.引き金を引き発射。

//***日本の火縄銃が頬付け形に終始し、肩付け形の銃床にならなかった理由。
// 戦国期においては戦闘に従事する兵士が、足軽から大将まで大なり小なり鎧を装着しており、物理的に[[銃床>ストック]]を肩に効率的にあてがう事ができない装備であり、邪魔であるという用兵上の事情や、江戸時代の泰平期においては流儀による形態・射法の継承による硬直化等が指摘されている。
// 世界的に見ても、日本のように重装な鎧甲冑を装備する兵士が、銃器を恒常的に使用する用兵を用いる国も珍しく、これらの理由から、頬付け型の長銃を長期に主力装備として使用した日本の火縄銃のデザインは、世界的に見ても極めて珍しい意匠となっている。
//↑理由付けが推測であり根拠がなく、またマッチロック式銃火器には特別珍しいデザインではないため除去。

***威力
 火縄銃は「黒色火薬を使用し」「ライフリングのない滑腔銃身で」「鉛製の丸玉を撃つ」ことから、現代の[[小銃]]に比べて威力も性能も劣ると認識されがちである。
 しかし、この条件において現代の小銃よりも不利になるのは、長距離での弾道特性や貫通力、命中率である。
 さらに現代の小銃、さらに[[散弾銃]]と比べても口径が大きいため弾丸自体がかなり重く、弾丸の初速は480m/s程度で[[拳銃]]よりは遥かに速い。
 従って、火縄銃は小銃に比べれば弾丸の直進安定性こそ劣るものの、近距離での破壊力は現代の散弾銃と同程度である。

***特徴
 黒色火薬を用いるため、現在使われている無煙火薬と違って使用時に大量の煙が出る欠点がある。また、ライフリングがないため銃の口径に入る大きさの物であれば、理論的には発砲不可能ではない。

 メディア上では戦国時代や江戸時代を扱った作品のほか明治時代のマタギを取り扱った作品に登場することが多い。
 現代では銃砲刀剣類所持等取締法(銃刀法)の規制対象となっており、骨董品として所有するにしても登録が必要である。

#hr
----
#pcomment

トップ   新規 一覧 単語検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS