*火縄銃
#author("2020-01-12T17:03:38+09:00","default:user","user")
*火縄銃 [#i0174158]

 戦国時代の種子島に伝わった前装式のマッチロック式銃。その伝来地の名をとって「種子島銃」あるいは「種子島」と呼ばれることも多い。
 『鉄炮記』の記述によると日本への鉄砲伝来は1543年(天文12年)の種子島で漂着した中国船に同乗していたポルトガル人が所持していたとされる。また、応仁の乱(1467年)で火縄銃の原始的な火器が使われていたのではないかという説もある。
 戦国時代の鹿児島県種子島に伝わった前装式のマッチロック式銃で、その伝来地の名をとって「種子島銃」あるいは「種子島」と呼ばれることも多い。また火縄筒と呼ばれることもある。[[口径]]や使用する弾丸の重量によって、小筒、中筒、大筒の三種に大別される。
 
***歴史 [#v1e8f02b]
 その伝来には諸説あり、『鉄炮記』の記述によると日本への鉄砲伝来は1543年(天文12年)の種子島で漂着した中国船に同乗していたポルトガル人が所持していたとされる。また、応仁の乱(1467年)で既に火縄銃の原始的な火器が使われていたのではないかという説もある。
//最初は贈答品として使われその後猟師によって[[猟銃]]として使用されていたが、
//↑双方とも大量生産以前に歴史的な通説とみなされるほど大規模に行われていた根拠が今のところないためコメントアウト。
 国友などの刀鍛冶などによって大量生産されるようになると全国各地に普及し天文末期頃から戦場に導入され、それまでの弓矢や槍と並ぶ主力兵器として、持ち手の筋力によって威力が変わらないことから主に戦闘訓練をそれほど受けていない鉄砲足軽や、雑賀衆や根来衆といった[[傭兵]]が使用した。戦場での使用の他、戦のない時には鳥撃ちなどの狩猟にも使われており、これは射撃訓練と同時に食料の確保にもなる文字通り一石二鳥の行為であった。
 その後も改良が続けられ[[騎兵銃]]の馬上筒(短筒)、末期には戦国の[[対物火器]]ともいうべき抱大筒(かかえのおおづつ)や火縄銃に取り付ける一種の[[ライオットシールド]]である鉄砲楯も登場した。
 江戸時代では主に持筒や鉄砲組といった江戸城の警備役が所持する他に関所の武器として設置されていたが、島原の乱(1637〜38年)の後、文治政治になり天下泰平の世になると兵器としての使用はほとんどなくなり((数少ない例として、大規模な百姓一揆である安永騒動や1837年(天保8年)の大塩平八郎の乱の鎮圧で使用している。))[[猟銃]]としての使用が主になる。藩によるが一定の条件下で猟師や畑を荒らすイノシシなどの野生動物を駆除するために秩父地方などの農村で使用することが許可されるようになり、これは明治時代まで続くことになる。またバレルを数本束ねた連発銃なども作られたがこれらは実用品というよりも実験や趣味としての意味合いが強かったようである。その他に大名家などが所有する物は蒔絵などの豪華な装飾が施された物も存在する。
 その後の幕末の戊辰戦争(1868〜1869年)では[[スペンサーカービン>小銃/スペンサー M1860]]や[[ガトリングガン]]などの欧米から輸入された最新式の銃が主流となった事で軍用銃としてはほとんど使用されなくなり、明治の西南戦争(1877年)で西郷軍が使用したのが戦場での最後の使用となった。 

***仕組み
***仕組み [#b59a987b]
1.引き金を引くと火をつけた火縄が、あらかじめ黒色火薬を盛りつけておいた火皿と呼ばれる部品を叩く。
2.火は火皿の口薬と呼ばれる微粉末黒色火薬に引火する。
3.火皿内部に切られた導火孔の中の口薬は燃焼を続けて薬室内部へ到達する。((ただし実際は、導火孔に火薬が詰まった状態にある場合、引火がゆっくりと進み引金をひいてからの時間差が生じて遅発となってしまって命中しないため、導火孔は空洞に保ち火花を通し易くしておく。))
4.薬室内部の胴薬または玉薬と呼ばれる装薬に火が伝わるとそこで一気に燃焼(爆燃)、込められた弾丸を射出する。
***装填方法
1.火縄に着火しておく。複数の着火した火縄を準備することが多い。
2.銃口へ発射薬である胴薬と弾丸を装填する。火薬と弾丸((この手順は最も時間がかかるため早合と呼ばれる装薬と弾丸を一体化したものが開発された。))は槊杖(カルカともいう)で銃身の奥へ押し固める((このとき槊杖を使わずに握りを地面に打ち付ける方法もある。))。
3.火皿に点火薬である口薬を入れ、火蓋を閉じ、火の点いた火縄先を火挟に挟む。
4.構えて狙いを付ける。標的の体に当る可能性を高める為に胴体の中心を狙う。距離は標的の目の白黒が見える位とされた。
5.引き金を引き発射。
***装填方法 [#y3c13529]
1.火縄に着火しておく。予備として複数の着火した火縄を準備することが多い。
2.銃口へ発射薬である胴薬と弾丸を装填する。火薬と弾丸((この手順は最も時間がかかるため早合と呼ばれる装薬と弾丸を一体化したものが開発された。))は槊杖(カルカともいう。普段は銃身の下に収納されている。)で銃身の奥へ押し固める((このとき槊杖を使わずに握りを地面に打ち付ける方法もある。))。
3.火皿に点火薬である口薬を入れ、事故防止のため火蓋(火皿カバー)を閉じ、火の点いた火縄先を火挟に挟む。
4.構えて狙いを付ける。標的の体に当る可能性を高める為に胴体の中心を狙う。
5.火蓋を開放し((これが火蓋を切るの語源となった))、引き金を引き発射。

***日本の火縄銃が頬付け形に終始し、肩付け形の銃床にならなかった理由。
 戦国期においては戦闘に従事する兵士が、足軽から大将まで大なり小なり鎧を装着しており、物理的に[[銃床>ストック]]を肩に効率的にあてがう事ができない装備であり、邪魔であるという用兵上の事情や、江戸時代の泰平期においては流儀による形態・射法の継承による硬直化等が指摘されている。
 世界的に見ても、日本のように重装な鎧甲冑を装備する兵士が、銃器を恒常的に使用する用兵を用いる国も珍しく、これらの理由から、頬付け型の長銃を長期に主力装備として使用した日本の火縄銃のデザインは、世界的に見ても極めて珍しい意匠となっている。
***威力 [#ra157493]
 火縄銃は黒色火薬を使用する・滑腔銃身である・鉛製の丸玉を用いるといった点から、現代の[[小銃]]に比べると性能は(特に精度や射程面で)劣る。
 しかし単純な威力は口径が大きく初速は480m/s程度に達するため、現代的な銃に比べて極端に劣るものではなく、種類やバレル長によるが現代的な[[散弾銃]]と同程度であるといえる。

***威力
 火縄銃は「黒色火薬を使用し」「ライフリングのない滑腔銃身で」「鉛製の丸玉を撃つ」ことから、現代の[[小銃]]に比べて威力も性能も劣ると認識されがちである。
 しかし、この条件において現代の小銃よりも不利になるのは、長距離での弾道特性、命中率である。滑腔銃身で、しかも弾丸の鉛部分を硬い金属で覆っていない[[ソフトポイント>ホローポイント弾]]弾は、むしろ威力は増す。
 さらに現代の小銃、さらに[[散弾銃]]と比べても口径が大きいため弾丸自体がかなり重く、弾丸の初速は480m/s程度で、[[拳銃]]よりは遥かに速い。
 従って、火縄銃は小銃に比べれば弾丸の直進安定性こそ劣るものの、近距離での破壊力は現代の散弾銃に比肩する。((正規の薬量・弾頭重量の火縄銃で戦国期当時の一般的な足軽向けの具足を射撃した報告によると、厚い鋼板を用いた胴体正面部分であっても直撃を受ければいとも簡単に撃ち抜かれてしまい、硬い鋼板に当たることで分裂した鉛弾が胴体内にバラバラに飛散して背中側の鋼板も貫いていることから、「たとえ完全装備の具足を纏っていたとしても、火縄銃がまともに胴体に命中すれば撃たれた兵はまず助からないであろう」と結論づけている。))
***特徴 [#o1d7a8b9]
 発射までに時間がかかる、黒色火薬を用いるために現在使われている無煙火薬と違って使用時に大量の煙が出ることや、火縄が湿ると発射できないために雨天時には使用できない((対策として屋根のある所で発砲する、陣笠で雨を防ぐ、湿気に強い水火縄という物を使うなどさまざな方法がとられた))といった数多くの欠点がある。
 また、[[ライフリング]]がないため銃の口径に入る大きさのものであれば、理論的には発砲不可能ではない。そのため金属製の弾の他に石や陶器製の弾も使われた。

***特徴
 黒色火薬を用いるため、現在使われている無煙火薬と違って使用時に大量の煙が出る欠点がある。また、ライフリングがないため銃の口径に入る大きさの物であれば、理論的には発砲不可能ではない。

***その他 [#xe37951f]
 メディア上では戦国時代や江戸時代を扱った作品のほか明治時代のマタギを取り扱った作品に登場することが多い。
 現代では銃砲刀剣類所持等取締法(銃刀法)の規制対象となっており、骨董品として所有するにしても登録が必要である。

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