*ミュンヘンオリンピック事件 [#z9b9a69a]
 1972年9月5日、旧西ドイツのミュンヘンで発生した人質事件。別名『黒い九月事件』。
 ミュンヘンオリンピックに参加中のイスラエル選手村を、パレスチナ系テロリスト『黒い九月』8名が襲撃。2名を射殺し9名を人質に取った後、籠城に入り、イスラエルに逮捕されていた同志の釈放を要求する。これに対しイスラエル政府は自国の対応部隊の派遣を西ドイツ政府に申し出るが、西ドイツ政府はこれを拒否し自国の警察部隊で対応。要求を飲んだと見せかけ脱出機の搭乗直前に一斉狙撃を行うが、夜中で視界が悪く狙撃は不完全に終わり、3名のテロリストが生き残り銃撃戦に発展。最終的にテロリスト5名の射殺と3名の逮捕を果たすが、代償に人質9名全員と脱出機の操縦士及び警官1名が死亡し、オリンピックは一時中断する最悪の結果で幕を降ろした。


 西ドイツ政府はこの手痛い事件を教訓として、抗テロを目的とした専門部隊:『[[ドイツ国境警備隊第9部隊(GSG9)>GSG9]]』を設立する。
 また狙撃に於ける失敗から、西ドイツ政府は[[ワルサー]]、[[H&K>ヘックラー ウント コッホ]]等に代表されるドイツの銃器メーカー各社に[[半自動(セミオート)式>セミオート]]の狙撃銃の開発を依頼。[[H&K PSG-1>HK PSG1]]、[[ワルサー WA2000]](不採用に終わる)といった名銃が完成する。


 余談ではあるものの、この事件ではテロリスト達と同じく、日本選手団も非難された。
 各国選手団が悲劇的な結果に沈んでいるのに競技再開に喜んだり、追悼式に黒い喪服でなくジャージ姿で参列したり、『練習』と称し追悼式に参列しなかった選手が多かった為、『メダル=アニマル』と揶揄されたのだ。


 後日談となるが、イスラエルは本事件の報復として諜報部隊『モサド』を派遣。他のテロ事件の要求により解放された実行犯の生き残りと、その関係者を執拗に追い続け、
1991年に最後の1人、アリ・ハサン・サラメを殺害し報復を達成した(ただし順調に暗殺されたわけではなく、途中で違う人間をアリ・ハサン・サラメと勘違いして殺害してしまったり、その逃走中に警察に諜報員が警察に逮捕されたりした。最後にサラメを殺害したのは正面からの暗殺ではなくほとんど爆弾テロのような手口(通りに止めておいた車に爆弾を仕掛け、サラメの乗った車が通った瞬間に爆破した)で暗殺を行った。
上記の事件については、ノンフィクション小説『標的(ターゲット)は11人 モサド暗殺チームの記録(ジョージ=ジョナス著)』『ミュンヘン(マイケル・バー=ゾウハー、アイタン・ハーバー著)』及び、その著書を原作としている、映画『ミュンヘン(スティーブン=スピルバーグ監督)』にて描かれている。但し、イスラエル政府、元モサドの重要幹部等は、映画で描かれたことを否定しているようだ(ただし、『ミュンヘン』の著者アイタン・ハーバーは元首相の補佐であったのでそうともいえないのである)。


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