*ポートアーサー事件 / Port Arthur massacre [#ba1798b4]

 1996年、4月28日にオーストラリア・タスマニア島の観光地であるポートアーサーで起こった銃乱射事件。死者57名を数えた韓国の禹範坤(ウ・ボングン)事件に次いで、単独犯の犯行としては世界第3位の大量殺人事件である。

 犯人であるマーティン・ブライアントは午後1時頃、最初の事件現場であるブロードアローカフェにスポーツバッグを持って入った。その後スナック菓子を買って、食べ終わるとバッグの中から[[コルト AR15]]([[スポーターモデル]])を取り出し、店内および周囲の観光客に無差別に発砲した。

 発砲を続けた約2分間の間に、ブライアントは20人を射殺した。その後駐車場に向かい、居合わせた観光客とバスの運転手を射殺。駐車場に停めていた車で逃亡し、ゲートに向かった。ゲートに向かう際に、ブライアントは2人の子供とその親を射殺した。
 その後、車を走らせ料金所まで行くと、4人を射殺し彼らの乗っていた車に乗り換えて逃亡を続けた。途中、通りかかったガソリンスタンドでカップルの乗った車を襲撃した。女性を射殺し、男性を人質としてトランクに入れると逃亡を続行、ゲストハウスのシースケープコテージに向かった。そこに着くと車に火を放ち、立てこもった。

 警察はマスコミのおかげで居場所を知り、オーストラリア警察特殊部隊SOGを出動させ、厳戒態勢をとって建物を取り囲んだ。携帯電話を使ってブライアントと交渉を開始するが、一向に状況は進展しなかった。
 人質を取られているので警察も動けず、緊張が高まっていく中、事件は意外な展開を見せた。ゲストハウス内から出火しブライアントは火傷を負って建物から出てきたのだ。警察は彼を即取り押さえた。後にゲストハウスからは、人質の男性とゲストハウスのオーナーだった老夫婦の遺体が発見された。

 こうして世界史上まれに見る凶悪事件は幕を閉じた。最終的な犠牲者は死者35人、負傷者15人。マーティン・ブライアントはその後、終身刑に処せられた((オーストラリアは死刑制度を廃止しているため、終身刑が最高刑である))が、動機は今もって明らかではない(後にブライアントは刑務所で自殺を図ったが未遂に終わっている)。
 一部の生存者が「犯人はブライアントではなかった」と証言したことや、ブライアントの知能指数が平均よりかなり低かったことから、一部では「真犯人は別に居る」、あるいは「銃規制派が規制強化を目論んで、ブライアントを利用して事件を引き起こした」といった陰謀論めいた噂が流れたが、これとて確たる証拠あっての話ではない。

 なお、この事件発生から12日後、オーストラリアでは軍用銃ベースのスポーターモデルの輸入・販売が全面禁止されることが決定し、その後、オーストラリアでは国全体の銃規制を導入した。
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