*フォークランド戦争 [#xcb3b89a]

 1982年に、アルゼンチン南端から東に数百km沖にあるイギリス領フォークランド諸島(アルゼンチン側呼称:マルビナス諸島)を巡ってイギリスとアルゼンチン間で勃発した戦争。比較的、規模が小さい事から「フォークランド紛争」とも呼ばれ、スペイン語圏では南大西洋戦争とも呼ばれる。

 フォークランド諸島は以前より両国間で領土問題となっていたが、長年の調停交渉も決着が付かなかった。これに業を煮やした当時のアルゼンチン軍事政権(レオポルド・ガルチェリ大統領)は、不況による国内不満を逸らす目的を兼ねて、1982年4月2日に『マルビナス諸島』獲得のため部隊を上陸。イギリス軍の守備隊を捕虜にし、国交を断絶し交戦状態に入る。
 これに対してイギリス軍は海軍を派遣し、原子力潜水艦でアルゼンチン軍の海上輸送を遮断すると共に地上部隊を上陸させ、西側兵器同士の激しい攻防戦の末、フォークランド諸島の奪還に成功した。これ以上の継戦は不可能と判断したアルゼンチン政府は、大統領(軍司令官兼任)及び政府要人が総辞職。停戦を受け入れ戦争は終結する。
 軍事的には早期警戒機の重要性が改めて認識され、VTOL(垂直離着陸)機や対艦ミサイル、原子力潜水艦など、近代兵器が実戦に投入された事でその有効性と反省が後の兵器開発に影響を与えた。
 両軍で使用された兵器のほとんどは実戦を経験していなかったが、この紛争で定量的に評価されることになった。また、アルゼンチンはイギリスから兵器を一部輸入していた上、両軍ともアメリカやフランス、ベルギーなどの西側第三国で設計開発された兵器を多数使用しており、同一の兵器を使用した軍隊同士の戦闘という特徴があった。

 アルゼンチンにとって『イギリス本土から遠く離れた島を奪回しても、既に幾つもの植民地を手放した様にイギリスは所有権を放棄するに違いない』と見越して強行策を採ったものの、当時イギリスの首相が「超」が付くほどのタカ派で、『鉄の女』の異名をとるマーガレット・サッチャーであり、奪われたフォークランド諸島の奪回に、イギリスが国の威信をかけて全力で挑んできた事が最大の誤算だった(当時のサッチャーは厳しい国内政策による失業者の増加などで支持率が低下、引くに引けない状況にもあった)。

 また、アメリカやNATO加盟国を主とする西側諸国も、(同じ西側陣営同志の戦争に困惑しながらも)『同盟国への侵略行為は一切認めない』との姿勢でイギリスを一貫して支持。隣国チリも、国境問題を抱えるアルゼンチンに味方せず、イギリス側に基地や情報を提供する有様。装備や兵の練度でも劣っており((アンデス地域から徴兵された若い兵士が主体で、全体の3割近くが新兵だった。))、アルゼンチンには全く勝ち目がなかった。
 かくして、戦況はイギリス海軍のチャーチル級攻撃型原潜「コンカラー」がMk8魚雷2発でアルゼンチン海軍巡洋艦「ヘネラル・ベルグラーノ」((元米海軍ブルックリン級軽巡洋艦フェニックス。1951年10月にアルゼンチン海軍が購入))を撃沈するなど、イギリス側が終始優勢だったが、全くのワンサイドゲームというわけでもなかった。
 イギリス側の被害ではアルゼンチン海軍攻撃隊のシュペルエタンダール攻撃機から発射された対艦ミサイル・エグゾセによる42型駆逐艦「シェフィールド」の撃沈、いわゆる『シェフィールド・ショック』がよく知られるが、この他にもアルゼンチン空軍のA-4「スカイホーク」やIAIダガー((イスラエルのIAIが開発した多用途戦闘機でミラージュIIIの派生型の一つ。ダガーは輸出名でイスラエルではネシェルと呼ばれる。))の爆撃により21型フリゲート「アーデント」、「アンテロープ」((不発弾だったが、信管除去作業中に爆発し沈没))、42型駆逐艦「コヴェントリー」、シュペルエタンダールのエグゾゼ(2発発射されたうちの1つ)でイギリス海軍徴用コンテナ船「アトランティック・コンベイヤー」が撃沈された。
 上陸戦・地上戦でも、6月8日に補給揚陸艦「サー・ガラハッド」と揚陸艇F4号が撃沈。炎上するサー・ガラハッドから、片足をもぎ取られた兵士が担架で運び出されるビデオ映像は、この戦争で最もショッキングなシーンとして記憶されている。サウス・ジョージア島での攻防では、アルゼンチン軍狙撃部隊の暗視装置付き[[M2重機関銃>ブラウニング M2]]による夜間攻撃((イギリス軍側はこれに対抗するため遠距離から対戦車ミサイル「ミラン」で攻撃した))などで苦戦を強いられる局面があった。

 また、後にこの戦争で初めて『レーザー兵器』が使用されたことが明らかになっている。これは「Laser Dazzle Sight(LSD)」と呼ばれ、イギリス軍の艦艇の一部に搭載され、飛来するアルゼンチン空軍機に対して照射されたという。もちろん航空機を撃墜するような威力はなかったが、パイロットの目を幻惑させて狙いを狂わせる『目くらまし』の効果があった。戦後、アルゼンチン側の証言と、パイロットの一部に視力障害の後遺症があったことから明るみに出たもので、後にイギリス側も使用を認めた。
 その後、この種の『目潰しレーザー』は相手の視力を永久に奪う危険性が高い事から、非人道的兵器として1995年、『失明をもたらすレーザー兵器に関する議定書』で禁止される事となり、フォークランド紛争が唯一の実戦投入例となった。

 なお、イギリス・アルゼンチン両国は1989年10月に開戦以来の敵対関係の終結を宣言し、翌1990年に国交を正式に回復。しかし、フォークランド諸島の帰属については、現在も互いに自国の領有権を主張し続けている為、未だに結論は出ていない。

|イギリス軍(損害)|イギリス軍(総戦力)|国|アルゼンチン軍(総戦力)|アルゼンチン軍(損害)|h
|死者256名&br;負傷者777名|約8000人|地上部隊|約11000人|死者746人&br;負傷者1336人|
|18機|20機((のち爆撃機、輸送ヘリなどが増援に参加(機数詳細は不明)))|航空機|約220機((投入可能だった機数。実投入数は半数以下))|83機|
|戦闘艦6&br;補助艦1|空母2&br;駆逐艦8&br;フリゲート15&br;原子力潜水艦4&br;通常動力潜水艦1&br;その他補助艦11|艦船|空母1&br;巡洋艦1&br;駆逐艦7&br;フリゲート3&br;通常動力潜水艦4&br;その他補助艦16|巡洋艦1|
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